治安維持法100年 しんぶん赤旗
31都道府県で告発集会・宣伝
侵略遂行へ共産党・国民を弾圧
![]() (写真)治安維持法の制定に反対する集会に集まった人たち=1925年2月 |
戦前、天皇絶対の専制政治による国民弾圧の武器として猛威を振るった治安維持法の制定(1925年3月19日成立、4月22日公布、5月12日施行)から今年で100年を迎えます。
同法は、天皇絶対の体制である「国体」の変革を求める主張や運動を“極悪の犯罪”と見なし、「君主制の廃止」「侵略戦争反対」を掲げる日本共産党を最大の弾圧対象にしました。28年には天皇の命令である緊急勅令で最高刑を死刑とし、「目的遂行罪」を設けて弾圧の対象を拡大。知識人、宗教者など幅広い人々の言論の自由を奪い、反戦運動を取り締まりました。
弾圧を担った特別高等警察(特高警察)は「おまえたちは陛下のご詔勅にそむいて反戦運動をやった。不忠の逆賊だ。そんな虫けらは殺してもよい」といって無法な拷問を加えました。
作家の小林多喜二は33年、特高の拷問で虐殺されました。取り調べを受けた女性は「特高は私を素裸にした」「手帚(ほうき)を持ってきて、その柄で、私が女であるが故の辱めを与えようとした」と証言しています。
同法による国内の検挙者は6万8千人を超え、弾圧による死者は拷問で虐殺された93人を含め500人余に及びました。植民地の朝鮮や台湾、かいらい政権「満州国」(中国東北部)でも死刑を含む弾圧が吹き荒れました。
戦後、45年10月15日、同法は政治的自由への弾圧と人道に反する悪法として廃止されましたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていません。
今、大軍拡と敵基地攻撃能力の強化が進む中、警察権力の国民監視を拡大する悪法が目白押しです。特定秘密保護法、共謀罪法、経済秘密保護法に続き、石破茂政権は「能動的サイバー防御」法案を閣議決定しました。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は31都道府県で民主団体と協力して集会や学習会、宣伝行動を多彩に計画。永島民男事務局長は「各地の画期的な取り組みは、国民の中に治安維持法の時代のようになっているという警戒心があるからです。運動をさらに広げていきたい」と話しています。
治安維持法関連年表
1889年 2月11日 大日本帝国憲法発布
1894年 8月1日 日清戦争開始
1900年 3月10日 治安警察法公布(結社・集会・デモを規制)
1904年 2月10日 日露戦争開始
1911年 8月21日 警視庁に特高警察課設置
1922年 7月15日 日本共産党創立
1925年 3月29日 普通選挙法成立(男性25歳以上に選挙権)
4月22日 治安維持法公布(成立3月19日、施行5月12日)
1928年 2月20日 普通選挙法初の総選挙 労農党19万票獲得
3月15日 三・一五事件で共産党員と支持者1600人検挙
6月29日 緊急勅令で治安維持法改定=最高刑死刑・目的遂行罪新設
7月3日 特高警察課全県設置、思想検事各地裁配置
1929年 3月5日 治安維持法事後承諾案に反対した山本宣治刺殺される
4月16日 四・一六事件で1000人検挙
1931年 9月18日 満州事変=中国東北部に侵略(柳条湖事件)
1933年 2月20日 小林多喜二 築地署で拷問により虐殺される
3月27日 日本が国際連盟から脱退
1935年 12月8日 大本教弾圧
1936年 5月29日 思想犯保護観察法公布
11月25日 日独防共協定調印
1937年 7月7日 中国への全面侵略戦争開始(盧溝橋事件)
12月15日 第一次人民戦線事件446人検挙
1938年 4月1日 国家総動員法公布
11月29日 戸坂潤ら唯物論研究会幹部検挙
1940年 2月6日~ 生活綴方(つづりかた)教育関係者百数十人検挙
1941年 3月10日 改定治安維持法公布(予防拘禁制度導入)
12月8日 日本が米国の真珠湾を攻撃 太平洋戦争開始
12月9日 開戦非常措置で宮本百合子ほか1000人以上検挙
1944年 1月~翌年 横浜事件 『中央公論』改造』編集者ら検挙
1945年 8月9日 戸坂潤獄死
8月15日 終戦
9月26日 哲学者三木清獄死
10月10日 政治犯約3000人釈放
10月15日 治安維持法廃止
1952年 7月21日 破壊活動防止法、公安調査庁設置法公布
2013年 12月13日 特定秘密保護法公布
2015年 9月30日 安保法制(戦争法)公布
2017年 6月21日 共謀罪法公布
2025年 2月7日 「能動的サイバー防御」法案閣議決定
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