ある信仰を持った人が、異なる信仰の人を理解し、あるいは対話をする。
大切なのは互いの信仰の「本義」問い直すことだ。
それぞれの宗祖の精神に、立ち返ることでもある。
諸宗教の価値を認め、宗教間対話を積極的に取り組む姿勢は、かつては少なかった。
当時は、他宗教に対しては閉鎖的であり、改宗を求めがちであった。
だが、異な宗教を尊重し、宗教間対話を促した。
そこには、共に平和を望むことから、共生や寛容の精神が強調された。
人類の歴史は、確かに一面では、宗教と宗教の戦争の歴史でもあった。
だからこそ、平和の世紀を築き上げるには、宗教者同士の対話が必要になる。
それぞれ立場は違っていても、人間の幸福と平和という理想は一緒であるはずだ。
要するに、原点は人間であり、そこに人類が融合していく鍵がある。
つまり、戦争をするのではなく<善の競争>をするのである。
<善の競争>とは、すなわち「平和のために何をしたいのか、人類のためになにができたかを、競いあっていくことだ。
「世界平和に貢献する優れた人格を、どれだけ輩出したか」が問われるのである。
そして「平和の建設者」としての責任から生まれるのが大いなる智慧である。
「現実の社会のなかで、悩み、苦しみ、病める人々をどう救うかだ」
宗教は、人類の福祉と平和のために、違いを超えて必ず協力できるはずだ。
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