本人の意思に関係なく、強制的に子供を産めない体にする不妊手術がかつて日本で行われていた。法的な根拠となったのは旧優生保護法。1996年に改正されるまで、被害に遭ったのは全国でおよそ2万5000人にのぼる。手術で“人生を奪われた”人たちの提訴の動きは仙台地裁をきっかけに全国へと広がり、最高裁判所は7月3日、上告された5件について初めての統一判断を示す。
自分は家族に必要なのか?
ぱん / 女性 / 30代
結婚前から、「私は家族に本当は受け入れられていないのではないか」と思っていました。
大学4年生の年始、介護が必要な祖母のことを手伝いに実家に帰ったのに、別の件で嫌なことがあって不機嫌になったのを、「どうせ趣味に興じて卒論書いてないから不機嫌なんだろう」と言われました。
真剣に卒論に取り組んでいた私は何も知らない両親にそう言われたのにショックを受け、「私はどんなに真面目にやっても、親に信頼されていないんだ」と思いました。
そこから、新たに結婚してできた家族にも、どこか「私のことは信頼してないのではないか。便利な家政婦ぐらいにしか思ってないのではないか」と考えてしまいます。子どもが言うことを聞かないのは、夫が協力してくれないのは、私のこと内心をバカにしてるからではないかと。怒りの表出が元々苦手な私は、イライラが達すると大声で罵倒し、物を投げてしまい、辛いです。
大学4年生の年始、介護が必要な祖母のことを手伝いに実家に帰ったのに、別の件で嫌なことがあって不機嫌になったのを、「どうせ趣味に興じて卒論書いてないから不機嫌なんだろう」と言われました。
真剣に卒論に取り組んでいた私は何も知らない両親にそう言われたのにショックを受け、「私はどんなに真面目にやっても、親に信頼されていないんだ」と思いました。
そこから、新たに結婚してできた家族にも、どこか「私のことは信頼してないのではないか。便利な家政婦ぐらいにしか思ってないのではないか」と考えてしまいます。子どもが言うことを聞かないのは、夫が協力してくれないのは、私のこと内心をバカにしてるからではないかと。怒りの表出が元々苦手な私は、イライラが達すると大声で罵倒し、物を投げてしまい、辛いです。
2019年11月24日 23時20分
さくら / 東京都 / 女性 / 40代 / 子供
私は、最近47歳で発達障害と診断されました。
両親と妹に踏みつけにされて生きて来ました。
父親は私をバカと言い、私は成績は妹よりも遥かに上で大学にも行けると担任に言われても、母親が借金とパチンコをしており、妹は勉強が嫌いで私立高校に行くしかありませんでした。
気を遣いながら、八つ当たりやバカにされても我慢して父親は透析やがんで亡くなり、母親は遺産を使いきりヤミ金から借金することになり、妹は逃げました。
両親と妹に踏みつけにされて生きて来ました。
父親は私をバカと言い、私は成績は妹よりも遥かに上で大学にも行けると担任に言われても、母親が借金とパチンコをしており、妹は勉強が嫌いで私立高校に行くしかありませんでした。
気を遣いながら、八つ当たりやバカにされても我慢して父親は透析やがんで亡くなり、母親は遺産を使いきりヤミ金から借金することになり、妹は逃げました。
債務整理だけ手伝い私も孤独になりました。
それが皮肉にも、後になって自分が1番信じられるって解りました。
それが皮肉にも、後になって自分が1番信じられるって解りました。
親は子供を食い物にして一体何がしたかったのか、いつか取られる家に母親は住み、毎日反省もせず、行政のお世話になっています。
だらしない母親とある意味、ずる賢い妹と、もう会う事はなくなりました。
47年を返してと言っても返って来ない私の再出発になりました。今は前向きに生きていくつもりです。
だらしない母親とある意味、ずる賢い妹と、もう会う事はなくなりました。
47年を返してと言っても返って来ない私の再出発になりました。今は前向きに生きていくつもりです。
2019年11月24日 14時40分
大人になっても逃げ方を知らない
アダルトチルドレン / 東京都 / 女性 / 40代 / 虐待の被害者
すさまじい心理虐待を受けて育ちました。
40代後半の今も、うつ、不安障害、PTSDと診断され、長きにわたり通院しています。虐待を受けた後遺症の1つは、「逃げ方を知らない」ことです。子供は、どんなにひどい虐待を受けても、その親に見放されたら生きてゆきません。子供にとっては、「親から逃げる=生きる術がない」のです。虐待を受けながらも、その場にいるしかないのです。
私の場合、このことが、大人になってからも、生きづらさに繋がりました。健康的に育った人は、他人から侮辱されたり、陰湿なハラスメントにあったら、その場から去ったり、相手から逃げることができるでしょう。でも、虐待を受けて育った人は、その逃げ方がわからないのです。自分の身の守り方がわからないのです。そのために、私は社会人になってからも、数えきれないほどの屈辱的な想いをしました。怒っていい場面でも、相手に愛想をふりまいてしまったりするのです。
40代後半の今も、うつ、不安障害、PTSDと診断され、長きにわたり通院しています。虐待を受けた後遺症の1つは、「逃げ方を知らない」ことです。子供は、どんなにひどい虐待を受けても、その親に見放されたら生きてゆきません。子供にとっては、「親から逃げる=生きる術がない」のです。虐待を受けながらも、その場にいるしかないのです。
私の場合、このことが、大人になってからも、生きづらさに繋がりました。健康的に育った人は、他人から侮辱されたり、陰湿なハラスメントにあったら、その場から去ったり、相手から逃げることができるでしょう。でも、虐待を受けて育った人は、その逃げ方がわからないのです。自分の身の守り方がわからないのです。そのために、私は社会人になってからも、数えきれないほどの屈辱的な想いをしました。怒っていい場面でも、相手に愛想をふりまいてしまったりするのです。
2019年11月24日 12時44分
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