相川七瀬 スカウトを一度は断るも、歌手になれた理由とは…「母が学校をやめると言った娘に…」
[ 2022年3月30日 16:01 ]
歌手の相川七瀬(47)が30日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。デビューのきっかけを明かした。
20歳でデビューし、デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」を始め、「恋心」「トラブルメイカー」などミリオンセラーの大ヒット曲を連発した相川。現在は20歳と14歳の息子、9歳の娘という3人の子供を育てながら国学院大神道文化学部に通っている現役大学生でもある。
司会の黒柳徹子から「歌手に子供の頃からなりたかったそうですけど、子供の頃の憧れは西城秀樹さんだったんですって」と振られると、相川は「一番最初に憧れたのは秀樹さんでした。『Y.M.C.A.(YOUNG MAN)』を見てカッコ良くて。衣装も本当に凄くて。本当にカッコイイなと思いましね」とうっとりと話した。
その後、オーディションを受けたものの不合格。「オーディションを受けるときに、3年チャレンジしてダメだったら諦めるからやらせてほしいって母に頼んで、じゃあやっていいよって言ってもらってやったんですけど全然ダメで」。最後のオーディションでは作曲家、音楽プロデューサーでシンガー・ソングライターの織田哲郎が審査員を務めていたが落選し、「もう、歌手の夢は諦めて高校生になって」としたが、1年後、織田から連絡が。「もう一度、歌を歌ってみないか」との誘いに、「そのときに、生意気に『興味がなくなってしまいました』と断ってしまいました」と明かした。
「3年たって、ダメだったものはもうダメなんだという風に思っていたので、すっかり諦めてその夢は終わってしまってたので、もう一回誘ってもらったときにしっくりこなかったんです」と振り返ったが、その後学校生活がうまくいかず、高校をやめることに。その際に母が「あなたはもともと歌手になりたいという夢があったんだったら、それにチャレンジした方がいいんじゃないか。もう一度織田さんに連絡を取ってみたらどう」と背中を押してくれたという。
母の後押しに、「覚えているかどうか分からないけど、電話してみよう」と織田に連絡。織田は「あっ、気が変わったんだね。じゃあ、これから何か一緒に考えていこうね」と歓迎。
相川は当時は17歳だったとし、「母があそこで学校をやめると言った娘に、『夢があるんだったら実現した方がいい』ってよく言ってくれたものだなって」と感謝。
「自分が母親になったときに、子供が学校をやめたいって言ったときに、それ言えるかなって思うと、ろうばいしてしまって言えないんじゃないかなと思います」と続けた。
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