毎日新聞の「悼む」欄を興味をもって読んでいる。
最近亡くなった方々を悼む筆者の温かい思いが伝わってくる。
松方弘樹さん俳優
脳リンパ腫のため 1月21日死去・74歳
天性の表現力と根性
甘い二枚目スターとして売り出し中の彼と、がっぷり四つ組んだのが「893愚連隊」。
当初イメージの異なる彼の起用に猛反対だったが、撮影所長だった岡田茂氏の厳命に抗するすべもなく主役の座へ。
しかしこの作品を通じ、俳優、松方弘樹の力量を知ることになる。
脚本を読み込む力、そして表現力、それはほとんど天性のものだった。
加えて役者根性。
極度の高所恐怖症ながら役のためなら目を閉じてでもやってのける。
それをいいことに、しばしば過酷な演技を要求したこともある。
酒は飲ませ上手の豪快派、私生活もあっけらかんと開けっぴろげ。
どこまでが実像でどこまでが虚像か。
そんな彼が尊敬してやまなかったのが父・近衛十四郎の剣さばき。
それを次回作のちゃんばら映画で披露してくれる約束だったのに。(映画監督・中島貞夫さん)
----------------------
組長責任拡大へ奔走
河野憲壯さん 弁護士
日本弁護士連合会 民事介入暴力対策委員会元委員長
昨年12月16日死去・57歳
18年ほど前に会合で同席したのが初対面だったと記憶しています。
当時から市民や企業を暴力団から守る「民暴弁護士」として活躍されていました。
実際はとても温かい人なのですが、その時はぶすっとした表情で、なんて怖い目をしているのだろうという印象でした。
河野さんは広域暴力団傘下の組員が対立相手と間違えて学生を殺害した事件で遺族側の代理人として暴力団トップらを2005年に提訴し、2007年に損害賠償を勝ち取りました(2008年に和解成立)。
若手を集めて飲みに連れて行ってくれるなど後輩思いでした、2年ほど前にがんを患われてそういう機会も減りました。
最後にお会いしたのは、昨年11月22日。
入院先のベッドに座って「楽しかったな。結構良い人生だったよ」とおっしゃりました。
訃報が届き、黙祷を捧げました。
「河野さんのやろうとしてきたことは、しっかり預かりましたから安心してください」。
そう伝えました。(弁護士・澤田和也さん)
最近亡くなった方々を悼む筆者の温かい思いが伝わってくる。
松方弘樹さん俳優
脳リンパ腫のため 1月21日死去・74歳
天性の表現力と根性
甘い二枚目スターとして売り出し中の彼と、がっぷり四つ組んだのが「893愚連隊」。
当初イメージの異なる彼の起用に猛反対だったが、撮影所長だった岡田茂氏の厳命に抗するすべもなく主役の座へ。
しかしこの作品を通じ、俳優、松方弘樹の力量を知ることになる。
脚本を読み込む力、そして表現力、それはほとんど天性のものだった。
加えて役者根性。
極度の高所恐怖症ながら役のためなら目を閉じてでもやってのける。
それをいいことに、しばしば過酷な演技を要求したこともある。
酒は飲ませ上手の豪快派、私生活もあっけらかんと開けっぴろげ。
どこまでが実像でどこまでが虚像か。
そんな彼が尊敬してやまなかったのが父・近衛十四郎の剣さばき。
それを次回作のちゃんばら映画で披露してくれる約束だったのに。(映画監督・中島貞夫さん)
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組長責任拡大へ奔走
河野憲壯さん 弁護士
日本弁護士連合会 民事介入暴力対策委員会元委員長
昨年12月16日死去・57歳
18年ほど前に会合で同席したのが初対面だったと記憶しています。
当時から市民や企業を暴力団から守る「民暴弁護士」として活躍されていました。
実際はとても温かい人なのですが、その時はぶすっとした表情で、なんて怖い目をしているのだろうという印象でした。
河野さんは広域暴力団傘下の組員が対立相手と間違えて学生を殺害した事件で遺族側の代理人として暴力団トップらを2005年に提訴し、2007年に損害賠償を勝ち取りました(2008年に和解成立)。
若手を集めて飲みに連れて行ってくれるなど後輩思いでした、2年ほど前にがんを患われてそういう機会も減りました。
最後にお会いしたのは、昨年11月22日。
入院先のベッドに座って「楽しかったな。結構良い人生だったよ」とおっしゃりました。
訃報が届き、黙祷を捧げました。
「河野さんのやろうとしてきたことは、しっかり預かりましたから安心してください」。
そう伝えました。(弁護士・澤田和也さん)
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