峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

加納城跡

2013年02月17日 | 歴史
先週の月曜日は11日ということでシャンティ(Shanty)で食事会をしました。都合がつけば同窓生で毎月ランチする予定になっています。

その後15時からは柳ヶ瀬で、やななのイベントでした。じゃあ、その間どうしよう?ということで今まで行ったことがなかった加納城跡を探索してみることにしました。写真を見る限り何もない公園です。



加納城は案内板のように関ヶ原戦後、奥平信昌の居城として造ったものです。武田騎馬軍団と鉄砲3000丁の戦として名高い長篠の合戦で武田勢に包囲された長篠城の城主でした。その功績で家康の娘婿となったのです。娘は亀姫ですね。



現在は何もないとのことで今まで行ったことがありませんでした。それでも百聞は一見に如かずなので初めて行ってみることにしました。

まずは加納城の大手門跡です。中山道に面していました。何度か来てますから目にしてるはずですが、一度もお城に行ってみようという気にならなかったのが不思議なくらいです。お鮨街道の表示もあります。



そこからお城の方向に向かいます。すると岐阜大学教育学部附属小中学校が現れました。昔からその存在は知ってました。生徒達が路線バスで通学してるのも知ってました。岐阜市の南方にあるだろうくらいの認識しかありませんでしたので目からうろこでした(゚o゚)



その隣には加納小学校と幼稚園がありました。このように教育施設が並ぶのは古川河川跡(長良川川北)に匹敵します。お城の跡地利用なのでしょう。



その反対側には岐阜聾学校がありました。信号に書かれた町名は「加納西丸町」お城ですねえ(^^;)



そのまま進むと石垣が見えてきました。唯一残った本丸です。



建物は全くなく、石垣だけです。お堀もありません。門の前にある案内板にあった城郭図です。予想に反して城跡は加納小学校(三の丸)だけでした。しかし荒田川を外堀にし、内堀も備えた本格的な平城だったようです。



案内にも水に浮かぶ城という記述があります。大坂城がよほど目の上のたんこぶだったのでしょう。



そんな加納城も今は何もありません。



石垣だけが在りし日を物語っているようです。


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コメント (6)
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