「日本」とはなにか ―文明の時間と文化の時間米山 俊直人文書館このアイテムの詳細を見る |
何気なく図書館で手に取った本です。
表紙がきれいで、まだ新しい本だったので借りてきました。
米山俊直さんのことは良く知らなかったのですが、宮本常一氏の本の中に、アフリカのフィールドワーカーとして登場しました。
60歳を超えた宮本氏の初海外旅行~アフリカ~で、仲間にはぐれて、立ち往生しているときに、宮本氏は米山俊直に紹介されていた現地の人の名前を思い出し、それで仲間となんとか無事に出会うことができる・・・・という話がちらっと出てくるのです。
そんなわけで、京都大学の先生だということくらいしか知りまませんでした。
しかも、私の頭の中ではいつのまにか、社会学者の「加藤秀俊」氏とごっちゃになっていて、もうなにがなんだか・・・・
のテキトーなレベルです。
この本は、米山さんが2006年に亡くなってから出版されたもので、遺稿集のようなもののため、いろんなテーマの文章がごっちゃになっています。
集大成的な意味もあるものなのかもしれません。
読みやすかったです。
この本を読んでいくうち、だんだん、私の周りの世界が閉じてくるのを感じています。
世界が閉じるという言い方が、適切でなければ「輪がつながってくる」といってもいいです。
父に紹介されて読み始めた、私のこれまでの知識に全くなかった「宮本常一」という人の仕事を追っていく中で、私は、周りの世界がどんどん広がるように感じていました。
知らないことばっかりだし、
「へ~!!」の連続で、ページをめくるたびに目からうろこが落ちる。
世界が再構築される感覚がとても心地よいものでした。
米山さんとかは、その次の世代の人になるのだと思いますが、この本の中には、学生のころ「読め」といわれた本だとか、友人連が熱く語ってた学者の名前とか(当時の私にはちんぷんかんぷん)がどんどん登場するのです。
ちなみに、ごっちゃになっていた「加藤秀俊」氏も登場。
こないだまで読んでいた宮田登氏も、モチロン、宮本常一も。
うまくいえませんが、望んでがんばって受験勉強して、やっと入学した大学で、いざ学部が始まったら勉強についていけず(?)に落ちこぼれてしまった私でしたが、やっぱりこの分野にかえってきたんだな~という感慨があります。
本棚を見たら、「同時代の人類学」という米山俊直氏の本を持っていました。
もしかしたら、学生時代にレポートを書くために買ったのかもしれません。
ちなみに、米山さんとごっちゃになってた、加藤秀俊氏は、
ご自身のホームページをデータベースとして開放されており、
絶版の本がそこで読めたりします。
1982年の「わが師わが友」
http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/wagashi/wagashi_index.html
これ、面白いです。
今からなら、勉強できるかも。
比較文化論も、歴史地理学も、文化人類学も、人間論も、20世紀芸術論も今なら受けてみたいし、レポートも書いてみたい。
課題図書も読めそう。
あのころ、ちんぷんかんぷんだったものも、今なら理解できそうな気がします。
気がしてるだけかもしれませんが。
大学行ったの、ムダじゃなかったんだな~。
成長に時間がかかる人間なのだと、つくづく感じます。
それで、なんとなく嬉しいのです。
大学では何も勉強しないで卒業しちゃったけど、これからの一生を自分の興味のあるテーマについて学んでいけるのは楽しい事です。
これから、勉強しよぉっと!
単位のためでなく、卒業のためでなく、タダ単に自分の好奇心のために。
のんびりと。
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