東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線“清澄白河”駅下車徒歩3分の霊巖寺。(深川江戸資料館隣)
門を入ると本瓦葺きの大屋根が現れた。
昔、霊巖島と呼ばれた中央区新川1・2丁目、そこに雄誉霊巖上人が開いた霊巖寺があったので、そう名づけられた。
明暦3年(1657)の大火で被災し、この地に移った霊巖寺。その後、震災、戦災を経て現在の本堂となった。
ここに、陸奥白河藩3代藩主松平定信の墓がある。(国の史跡)
松平定信は8代将軍徳川吉宗の二男田安宗武の七男で、白河藩の養子に入った。
11代将軍徳川家斉(いえなり)の下で、主席老中、将軍補佐となって、寛政の改革を推進した。(池波正太郎“剣客商売”では、田沼意次を“よし”とするので、こちらは悪役となる)
ともかく、この墓の故にこの地は「白河」である。
ピカピカの本堂とは対照的に、境内の仏像は古めかしい。
大きな銅製の地蔵は、江戸6地蔵の5番目。享保2年(1717)のもの。
墓地の前に並んだ6地蔵をよく見ると左2体は新しい。顔が黒い地蔵は、昭和20年3月の東京大空襲の戦火に焼かれたと思った。