■みんな同じように扱われるという信頼感
人は、自分が裕福であるか貧しいか、あるいは有名人であるかそうでないかといったことにかかわらず、みんな同じように扱われるという信頼感を踏まえておかなければなりません。「法のもとの平等」という原理は、民主制には欠かせないものとなっています。
また、民主的な社会では、権利の保障も欠かすことができません。これは、犯罪を告発されたすべての人に、裁判において自分を守る権利があるということを意味します。(171ページ)
ここは大きな前提として「法のもとの平等」を取り扱っていますが、セットで権利保障が明記されています。
そして、その対比として「独裁制の国においては権利の保障がなく、人々は法のもとで平等ではありません」という記述につながっていきます。
「公共アクセス権」についても触れられており、「人には外に出て自然に触れることで気分がよくなると、多くの人たちが考えています」「私たちの基本法は『すべての人は、公共アクセス権によって自然に接することができる』と定めて、その権利を明記しています」と書かれています。
「ただし、私たちもまた自然を保護する義務を負います。私たちは植物を傷つけたり、動物の暮らしを乱したりしてはいけません」ということも合わせて示されています。
この「公共アクセス権」は、とても珍しいもので、スウェーデンに行ったときに森にあるブルーベリーを摘むことができたのはこのおかげだったのかという大学生の言葉も紹介されています。
■権利と権利がぶつかることもある
大学生が「学校に行くのは、義務でもあり、権利でもあります」という問いかけに「学校に行くことは義務であって、権利だあるって意識したことなかったかもしれない」「『行かなきゃいけない』っていう義務感の方が強かった」「もし、学校に行くことが権利だと考えて通っていたなら、ちゃんと勉強したかもしれない(笑)」という戸惑いと驚きを述べています。
そして、権利と権利がぶつかることもあるということを考えさせる内容は、とても大切だと感じました。
時には、二つの権利がぶつかることがあります。たとえば、ある人が望むこと、思っていることをいう権利が、いかなるグループもそれに対する扇動にさらされることがない、という権利がぶつかることがあります。
自分の意見を表明することと、脅しや侮辱からグループを守ることとでは、どちらの方が大切であると思いますか?(179ページ)
■子どもの権利条約は「子どもや若者を守るためにあります」
ここからが真骨頂といってもいいかもしれません。子どもの権利条約について、以下のように記されています。少し長いですが引用します。
あなたの、そしてほかの子どもたちの権利
1989年に国際連合は、子どもに関する権利についての提案を行いました。これは、「子どもの権利条約」と呼ばれるものにまとめられています。「子ども」には、あなたをはじめとし、世界にいるすべての子どもたちや若者たちが含まれます。その後、現在まで、ほとんどのすべての国の政府がこの規則に従うことを約束しています。
以下がその例です。(※注──以下のかっこの数字は、条約第何条かをさします。原文では○に数字を入れたものになっています)
(1)18歳未満の人は、子どもであると見なします。
(2) あなたには、生まれた場所や肌の色、どの神様を信じているか、裕福か貧しいか、女の子か男の子か、などの違いにかかわらず、ほかのすべての子どもたちと同じ権利があります。
(3)あなたのことを決める人は、常にあなたにとってもっとも良いことが何かということを考えます。
(7)あなたには、名前を持つ権利、一つの国の市民となる権利、親族に会う権利があります。
(12)あなたには、自分がどう思っているかを述べる権利があります。大人たちは、あなたの意見を聞かなくてはなりません。
(16)あなたには、安全な場所で暮らし、自分のプライバシーを守る権利があります。
(28)あなたには、無料で学校に行く権利があります。
(31)あなたには、遊び、休息し、自由な時間を過ごす権利があります。
(32)あなたには、厳しくて危険な仕事から逃れる権利があります。
(38)あなたには、戦争や兵役から身を守られます。
世界の子どもたちは、どんな気持ちで過ごしているのでしょうか?
「子どもの権利条約」は、子どもや若者を守るためにあります。とはいえそれは、常に規則通りに機能しているわけではありません。このような権利があるにもかかわらず、貧しい国々で厳しい仕事をしたり、学校に行くことができない子どもたちがいまだにいます。
また、「子どもの権利条約」には、子どもたちを兵士にしないように守るべきであると記されていますが、兵士となった子どもたちは世界中にいるのです。(180〜182ページ)
小学校の教科書に、丁寧に「あなたには」こんな権利があると書かれていることに、スウェーデンと日本の違いを感じました。(日本ユニセフ協会の訳はわかりやすいものとなっています)
大学生も「子どもが権利をもつことによって、『小さなオトナ』ではないけれど大人と同じように個人の意思が尊重されているというイメージがある」「日本では、まだまだ子どもは守られる対象とみなされているように思うな」と感想を述べていますが、多くの人の実感と重なると思います。
■さいごに
12回にわたって、『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』の内容を見てきました。
この本を手にした時の問題意識は「主権者教育をどうすすめているのか」というものでしたが、自分がこれまで捉えていた主権者教育が本当に狭い視野であったことを思い知らされました。
また、スウェーデンの若者の政治参加(投票率)がなぜこんなに高いのかという問題についても、「関心が高い、低い」という次元ではなく、関心があってもなくても、一票に価値があるから、自分の一票で決定を変えられると思っているから投票に行くということにとても納得しました。
改めて私が、この本から学んだことをまとめてみると、
- 実生活や身近な問題と、自分たちが生きる世界がどうなっているかを一体不可分のこととして学ぶことの大切さ
- 「ある課題」を過去のものとして学ぶのではなく、過去と現在という歴史の流れの中で学ぶことの大切さ
- 世界人権宣言、子どもの権利条約など、国際的な到達点を学ぶことの大切さ
- 「覚える」学びではく、「思考し、意見を述べる」学びの大切さ
- 「すべての人は平等である」ということと、一人ひとり違うということを学ぶことの大切さ
などに整理されるでしょうか。
このようなポスティングをしようと思ったきっかけは、私自身がこの本を読んでよかった、みなさんと少しでも分かち合いたいと思ったからです。
なので、ぜひこの本を手にしていただき、本文に接していただければと思います。