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米兵による凶悪犯罪が頻発しています。沖縄で少女がまた米兵に暴行されました。神奈川県でも2006年1月におきた横須賀での殺人事件は記憶に新しいところです。
繰り返される外国の軍隊による犯罪。しかも不平等な日米地位協定による日本人をおとしめるあつかい。許すことはできない。悲しすぎる。早く根本的な解決をしなければならない、それができる平和で民主的な政府を一日も早く、と念じずにはいられません。
その上、もっと悲しいことが起きています。暴行を受けた少女の側の非をあげつらう論調が跋扈していることです。
イラクでの人質事件のときの、「自己責任論」に共通する、冷血な、そして問題の本質から目をそらし、目の前の弱いものを攻撃する姿がそこにあるように思います。
そんなとき、沖縄で発行されている「琉球新聞」に、「米兵中学生暴行 それでも少女に非はない」と題する社説が載りました。
その一部を引用してご紹介いたします。
「あまりに浅ましい行為だ。この種の事件が起こるたびに、私たちは社説でも繰り返し指摘してきた。しかし何度でも言わねばならない。性的犯罪の被害者に落ち度はないということを。責めを負うべきは加害者であって、決して被害者ではない。」
「加害責任を問うどころか、まず被害者を非難する。これでは本末転倒だ。百歩、いや千歩譲って被害者の側に多少の軽率さがあったにしても、それで犯罪行為が正当化されるはずはないだろう。」
「よく考えてほしい。例えば、ミニスカートの女性が夜の道を歩いていて被害に遭うと、女性の側に責任があることになるのか。どんな時間にどんな服装で歩こうと、そのことをもって被害に遭っても仕方がない、ということにはならない。ましてや、加害責任が減免されることなど有り得ない。」
「加害責任を追及する前に、被害者の落ち度を責め立てる人たちに問いたい。私たちの住む社会は法律や良識が通用しないジャングルで、そこでは弱い者やすきを見せる人間は犯罪の対象になっても構わないとでも言うのか、と。
そうではあるまい。事件が起きた場合、まず、加害者の責任を追及し、その上で再発を防ぐ手だてを考えるのが、良識ある社会の在り方だろう。被害者のあら探しをするなど、もってのほかだ。 」
「被害に遭った本人や家族の心の傷に、さらに塩をすり込むような言動は慎むべきだ。そうすることで加害者と同列の立場になってしまう。そんな認識を共有したい。」
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