これまでもブログでお伝えしてきましたが、自衛隊が国産エンジンで開発している次期固定翼哨戒機(XP-1)は、この8月から厚木基地で性能評価試験等を行うとされていました。しかし、8月もまもなく終わろうとしているのにXP-1が飛来した形跡はありません。
そこで、大和市平和委員会の宮応会長らとともに南関東防衛局におもむき、報道室官の方々から情報をいただいてきました。
その主な点をお知らせいたします。
1)XP-1は8月末日をもって岐阜基地において自衛隊に納入される。
2)納入後、岐阜基地において自衛隊のパイロットが飛行訓練をして操縦になれさせる。
3)その後、厚木基地において性能評価試験等をおこなう。
4)そのため厚木基地に飛来するのは9月10日前になると思われる。正確に日程が判明すればマスコミに広報する。
5)性能試験後厚木基地に配備されるかどうかは、試験の結果によるので決定されていない。
6)XP-1の静寂性については、P-3Cと比べて、離陸時で-5db、巡航時で-10db。
5)については、私が昨年11月に岐阜基地を視察したとき案内にたった自衛官は配備先の一つとして「厚木基地」と明確に回答していましたので、「決定されていない」という言葉は、「正式には決定されていないけれど、厚木基地にはもちろん配備する予定です」、という意味としてとらえなくてはならないでしょう。
ですから、この聞き取りのなかで、厚木基地にジェット機は乗り入れないとした「ジェット機条項の変更が必要になっていくこともある」、と答弁しています。
6)については、昨年10月に大和市が独自に調査した騒音比較では、その違いが全くないという結果もでています。測定時にエンジンをふかすかふかさないかで結果はまったく変わってくるようです。
私は、XP-1の性能評価試験を厚木基地で行うのは、XP-1飛行の既成事実をつくって、自衛隊のジェット機は厚木基地には乗り入れないという昭和46年に国が綾瀬市や大和市にした約束を反故にするための動きと見ています。
この延長線上には、米軍機だけでなく自衛隊のすべてのジェット機の乗り入れへ門戸を開く道があるのではないでしょうか。
綾瀬市が、厚木基地の「整理・縮小・返還」を市是としているのは、このような人口密集地に軍事基地は共存できないからです。それは米軍だけでなく自衛隊の基地であっても同じです。
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元々回りは田畑
基地の騒音、爆音が問題になったのはいつからでしょうか?
特に大問題になったのは、たしか1973年ころからだと思います。
米軍が空母の母港を横須賀に置いた頃からではないでしょうか。
そのころは、もうまわりは田畑ではなかったと思います。
もちろん、いまよりはずっと多かったですけれど。
また、基地があるところにあとから越してきたとしても、
その劣悪な環境を改善してほしいと願うことはアリではないでしょうか。
特に日本は、もう二度と戦争はしないと、
全世界に誓った国なのですから。
これじゃあモンスターペアレンツ責められないなw
だってそのものだもんw
基地あるが故の苦しみをわかってくださらないようで残念です。
日本は、太平洋戦争で中国や東南アジアを侵略し、多くの人の命を奪いました。
その反省のなかで誓ったのです。
もう二度と戦争はしない、と。
その誓いの思いは、1947(昭和22)年8月に当時の文部省が発行した「あたらしい憲法の話」に込められています。
長くなりますが、引用しておきます。
六 戰爭の放棄
みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。