綾瀬市の「綾瀬」という地名は、1889(明治22)年4月1日に、上土棚村、本蓼川村、蓼川村、深谷村、吉岡村、早川村、寺尾村、小園村の8カ村が合併したときにさかのぼるそうです。ちょうど120年まえのことで、そのときが「綾瀬村」の誕生です。
このときなぜ「綾瀬村」と名づけられたのか、公文書などが残っていないため確たることは不明のようです。
しかし、主に3つの伝承がありますので、ご紹介いたします。(「市政だより」第32号にくわしい)
地形説
綾瀬市内に流れる蓼川、比留川、目久尻川には多くの支流がある。この支流(瀬)が綾をなしているので「綾瀬」となったとする説。私はこの説をこれまでよく聞いていました。
産業説
綾瀬村が誕生した当時、村内には養蚕が盛んで製糸工場があった。そのため、絹でできた綾にちなんで「綾瀬」となったとする説。
河川説
市内を流れる蓼川は「綾瀬川」と呼ばれていたので、河川の名称から「綾瀬村」とした説。
う~ん、私はこれらの伝承を知って、どれか一つが正解ではなく、それぞれの意味をかけあわせて、当時の人々の合意をえたのではないかとの感想をもちました。
みなさんは?
ところで、綾瀬市のことをまだよくご存じない方へ。
小田急線に乗るとき、綾瀬市に向かうのであれば、くれぐれも「綾瀬行き」には乗らないでくださいね。
それに乗ってしまうと、東京都の足立区綾瀬に行ってしまいますから。それはまったく正反対です(-_-;)。
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産業説
綾瀬村が誕生した当時、村内には養蚕が盛んで製糸工場があった。そのため、絹でできた綾にちなんで「綾瀬」となったとする説。
河川説
市内を流れる蓼川は「綾瀬川」と呼ばれていたので、河川の名称から「綾瀬村」とした説。
う~ん、私はこれらの伝承を知って、どれか一つが正解ではなく、それぞれの意味をかけあわせて、当時の人々の合意をえたのではないかとの感想をもちました。
みなさんは?
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小田急線に乗るとき、綾瀬市に向かうのであれば、くれぐれも「綾瀬行き」には乗らないでくださいね。
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