昭和天皇の弟で歴史学者の三笠宮崇仁は、建国記念の日の制定を「紀元節」の復活とみて反対した。「国が二月十一日を紀元節と決めたら、せっかく考古学者や歴史学者が命がけで積上げてきた日本古代の年代体系はどうなることでしょう。ほんとうに恐ろしいことだと思います」→続
続)三笠宮の言葉「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……それは過去のことだと安心してはおれない。もうすでに、現実の問題として現われ始めているのではないか。紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」
また、南京大虐殺についても次のように記述されています。
「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次大将などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。」
— 「THIS IS 読売」1994年8月号「闇に葬られた皇室の軍部批判」より
庶民いじめの悪政を変えたい
という方は、応援クリックを
お願いいたします。