宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「白馬帯路」

2007年02月05日 | Weblog
先日掲載させて頂いた、死者の生前の行いを
裁く時の様子を書かれた台湾の仏教修行者の
方は「極楽」の方も描写されていました。
そこでは一人の婦人が教えを与える場面が
あります。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「娑婆での富の所有権とは、有用物品の
借用件権と使用権にすぎません。
ですから娑婆を離れる時には、全てのものを
娑婆に返還しなければならないのです。

借用件権にしろ使用権にしろ、正当な用途の
ために借りたり、使うわけですから、使わない
ものまで他人の使う機会を犠牲にして自分が
独占し、大切に倉庫の中へしまい込むものでは
ありません。
必要のないものを所有し過ぎる事は、不当
所有となり不道徳な行為として冥土で記録
されます。」

「金銭とは関係なく、自分の持ち前の才能と
力を出来るだけ発揮して、周囲の人々を幸福
にする。
その事に喜びを感じるのが人間の本心です。
そういう生活の中で真面目に働いている人々は
美しい人間です。

何でもかんでも秤にかけて、他人よりやり過ぎた、
あるいは損をしたというのでは、一生涯糞桶の
中から這い上がる事の出来ない蛆虫みたいなものです。
つまり自分を小さい天地へ閉じ込めてしまう。
余分のものを皆にまき与えるだけの度量がなければ、
菩薩にはなれません。

仕事の価値は、報酬で得る金銭の多い少ないで決める
ものではありません。
人間の価値も金銭収入によってはかるものではありません。
財産の多寡で人生の成敗を決める社会は堕落した社会
なのです。」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
自身に不要なまでにものを溜め込んで、他の人が必要
としている時にそれを差し出さないならば、一般の社会の
法律とはかなり異なりますが、それも一つの罪となると
婦人は言います。
ヨーガの一つの中でも教えられていますが、これはお金
でも広大な土地でも、沢山の洋服でも、様々な事に
該当する様です。

また婦人の語る仕事の価値、人間の価値も現在確立
されている「資本主義」の観点からは大きく異なり
ますが、一方でこの「資本主義的見方」というものが
社会の中で絶対的なものさしとなってしまっている事も
感じられます。
コメント (2)