宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「隣人の台所」

2007年02月09日 | Weblog
先日掲載させて頂いた、死者の生前の行いを
裁く時の様子を書かれた台湾の仏教修行者の
方の「極楽」に関する描写の一部です。
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阿弥陀経には「阿弥陀仏を一心不乱に唱えると、
その人の寿命が終わる時に、阿弥陀仏が諸々の
菩薩と共にその人の前に現れ、その人は心が
転倒する事なく、ただちに極楽浄土に往生出来る」
と説いてある。
生前から極楽浄土と阿弥陀仏を信じ、一心不乱に
阿弥陀仏の称号を唱える者は、極楽浄土に運ばれて
いく。

しかし極楽浄土を目指して乗り込んできた亡霊が、
娑婆で特定の罪を犯していると、霊魂運送の途中で、
その者の霊魂を地獄の峡谷へ叩き落してしまう。
この事を、世人は知っておかねばならない。

法律の網を潜って、弱き者、貧しき者の膏血を絞り、
金銭を騙し取ったり、強奪したり。
権勢と財力を利用して他人をいじめたり、侮辱したり。
金銭のために人を殺害したり、人を売ったり。
だましたり、陥れたり、堕落させたり。

この様に常に悪事ばかりを働いている悪人が、毎日
三十分間「阿弥陀仏」の称号を唱えたとしても、死んだ
時に、直ちに極楽浄土へ往生出来るというのではない。
悪人は地獄で罪の償いを終えないと、極楽浄土に辿り
着いたとしても、じきに地獄の峡谷へ叩き落されて
しまう。
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宗教に属したり、特定の信仰をもっていたとしても、
結果狂信や盲信となって他の一般常識が見えなく
なってしまう例を時に見かけます。
今回の描写は、宗教の事を熱心に行っていても、
日常生活で悪事重ねていれば、意味が無いという事を
表しています様です。

本当に甚だしい場合は一部の者が搾取するためや、
他の悪しき目的のために宗教団体を組織したり、宗教の
指導を行うという場合さえあり、不適切な信仰や形態によって、
大切な人生を台無しにされてしまったという例の報告は
後を絶ちません。

危険な宗教や団体や指導者の見極めに関する一定の
条件などがいくつかの場所で提示されていますが、
それさえもやはり絶対ではなく、しかも情報が少なく
それだけでは判断が難しい場合も中にはあります様に
感じます。

最近わたくしが感じましたのは、物質的であれその他
であれ、すぐに何かが得られるという事を盛んに宣伝
している様な所は、まず疑ってかかるべきであるという
事でした。
宗教や団体に入信してすぐに特別な何かが得られると
いうのは、よく考えてみれば非常におかしい事ですね。
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