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アーサー・ホーランド牧師は1951年大阪の西成で、
アメリカ海兵隊員の父と日本人の母との間に
生まれた。
小学校を卒業して東京へ移るが、やがてケンカと
酒と女に明け暮れるような、札付きの不良となる。
高校生の時には、腕っ節の強さを買われて、赤坂の
バーで用心棒として雇われた事も。
ケンカの作法を教えたという父親も、さすがに息子の
将来に不安を感じて渡米させる。
ホーランドは持て余す体力をレスリングに向ける。
めきめき上達して2年連続全米チャンピオンとなる。
だが私生活は改まる事なく、麻薬にまで手を染める。
そんな時、恩師に教会に誘われて、イエス・キリスト
への愛に目覚めたのだった。
やがて伝道師として帰国したホーランド牧師は、
相変わらず腕力をあてにされた。
作家で、キリスト教徒の三浦綾子氏が講演の時に
暗殺予告された事があり、ボディーガードを頼まれた
のである。
そんな特別な任務もこなしながら、ホーランド牧師は
街頭を中心に、年間300回を超える伝道活動を行って
いる。
1992年、長さ3メートル、重さ40キロの巨大な十字架に
タイヤをつけて、6人の仲間と共にホーランド牧師は
沖縄から北海道まで3700キロの道を曳いて歩いた。
伝道の旅は1日50キロ、5ヶ月も続いた。
その道中、なぜか麻薬中毒で入院していた元ヤクザと、
刺青を入れた男が仲間入りを希望してきたのである。
それからは裏街道を歩いてきた人達が、どうしたわけか
次々に入信しはじめたのだ。
ホーランド牧師はそうしたクリスチャンと共に、
「ミッション・バラバ」というキリスト教
伝道団を組織した。
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このホーランド牧師について、こちらで写真つきで
詳しく紹介されています。
わたくしはプロテスタント教の方に関しては詳しく
ないので、「ミッション・バラバ」の活動内容や
立場に関する詳細はわかりませんが、この「ミッション・
バラバ」というのはこのホーランド牧師の人生哲学
そのものという印象があり、更に戦後の特殊な環境が
あって生まれ得たものであり、そうした特殊環境の中で
身についた幅を持つ生き方をする人が今後出る可能性は、
あまりないようにも感じます。
この「ミッション・バラバ」にわたくしが関わる事は
今後もなさそうですが、こうした生き方もある、という
一つの社会に対する提示になっている様にも思われ、
また今後もこの活動は続いていくものと思います。
アーサー・ホーランド牧師は1951年大阪の西成で、
アメリカ海兵隊員の父と日本人の母との間に
生まれた。
小学校を卒業して東京へ移るが、やがてケンカと
酒と女に明け暮れるような、札付きの不良となる。
高校生の時には、腕っ節の強さを買われて、赤坂の
バーで用心棒として雇われた事も。
ケンカの作法を教えたという父親も、さすがに息子の
将来に不安を感じて渡米させる。
ホーランドは持て余す体力をレスリングに向ける。
めきめき上達して2年連続全米チャンピオンとなる。
だが私生活は改まる事なく、麻薬にまで手を染める。
そんな時、恩師に教会に誘われて、イエス・キリスト
への愛に目覚めたのだった。
やがて伝道師として帰国したホーランド牧師は、
相変わらず腕力をあてにされた。
作家で、キリスト教徒の三浦綾子氏が講演の時に
暗殺予告された事があり、ボディーガードを頼まれた
のである。
そんな特別な任務もこなしながら、ホーランド牧師は
街頭を中心に、年間300回を超える伝道活動を行って
いる。
1992年、長さ3メートル、重さ40キロの巨大な十字架に
タイヤをつけて、6人の仲間と共にホーランド牧師は
沖縄から北海道まで3700キロの道を曳いて歩いた。
伝道の旅は1日50キロ、5ヶ月も続いた。
その道中、なぜか麻薬中毒で入院していた元ヤクザと、
刺青を入れた男が仲間入りを希望してきたのである。
それからは裏街道を歩いてきた人達が、どうしたわけか
次々に入信しはじめたのだ。
ホーランド牧師はそうしたクリスチャンと共に、
「ミッション・バラバ」というキリスト教
伝道団を組織した。
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このホーランド牧師について、こちらで写真つきで
詳しく紹介されています。
わたくしはプロテスタント教の方に関しては詳しく
ないので、「ミッション・バラバ」の活動内容や
立場に関する詳細はわかりませんが、この「ミッション・
バラバ」というのはこのホーランド牧師の人生哲学
そのものという印象があり、更に戦後の特殊な環境が
あって生まれ得たものであり、そうした特殊環境の中で
身についた幅を持つ生き方をする人が今後出る可能性は、
あまりないようにも感じます。
この「ミッション・バラバ」にわたくしが関わる事は
今後もなさそうですが、こうした生き方もある、という
一つの社会に対する提示になっている様にも思われ、
また今後もこの活動は続いていくものと思います。