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現在欧米の社会では、ヒトラーやナチスという名前を聞くだけで、すぐに
「エーッ」という言葉やしかめ面が出るほど、強い拒絶反応があり、
ナチスを扱った番組でも、ヒトラーはさも生れ落ちた瞬間から凶暴な
狂人であるという印象を与えるような表現や、戦時中もドイツ国民から
愛されていなかったという「証言」が集められたりしています。
こうした事は戦後に作られたイメージ、例えば
「アンネ・フランクは、アンネの日記を書かなかった」
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/afrank.htm
などに現れている印象操作の影響も少なからずあるのではないかと、
個人的に見ています。
勿論、強制収容所が存在しなかったという事ではありませんが、冷静に
ヒトラーの思想を研究出来る可能性が残っているのは、世界の
中でも日本だけではないかと、思ったりもしています。
ヒトラーの精神形成については諸説あり、例えば幼少の頃に魔女のような
お婆さんから手ほどきを受けた等という話もあり、どれが正確とは一概に
言えないようですが、以下のような「悪魔憑依による変容説」が80年代に
誌上で紹介された事があります。
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ヒトラーが厳格なベジタリアンであり、菜食専用のコックを抱えて
いたのは有名な話しである。
コックは女性で、コンスタンツェ・マンツィアリーという女性だ。
ヒトラーの好物は、タンポポのサラダに茹でたイラクサ、それに
スカンポのスープである。
これぞ上等な食物として珍重し、肉には決して手を出そうと
しなかった。
これが悪名高きヒトラーの一面の姿である。
ヒトラーが肉食をしなかったのは、母親が乳癌で亡くなったから、
或いは作曲家のリヒャルト・ワグナーの影響があった為という説が
一般的に信じられている。
若い頃の友人の証言によると、ヒトラーは温かい心を持った寛容な
人で、特に母親に献身的な愛を捧げ、末期にある母親の面倒を
つきっきりでみた。
その時つぶさに癌の怖さを知り、食事に神経質になったというのだ。
またヒトラーの精神形成に強い影響を及ぼしたのは、ワグナー、
ショーペンハウエル、ニーチェの3人で、彼らの哲学を取捨選択し、
再構成している。
(中略)
文化的退廃の原因は肉食にあると考えていたワグナーの思想を
受けて、ヒトラーはナチス党員にこう語っている。
「君はワグナーが現代の文化的退廃を肉食に還元しているのを
知っているかね。
私自身が今日、肉食を退けているのは、主としてワグナーがこの
問題について語った発言に基づいている。
そしてその発言は、絶対に正しいと私は考えている。
現代の文化的退廃の多くは、下腹から来ている。
慢性便秘、肉汁中毒、暴飲である。
肉類、アルコール、不潔喫煙の習慣を控えるのは、健康上の
理由からではなく、心の奥底からの信念の問題なのである……」
とは言え、ワグナーとショーペンハウエルは本当のベジタリアンでは
なかった。
ワグナーは心情的にはベジタリアンだったが、食べたい欲を抑える事が
出来ずに肉食し、ショーペンハウエルに至っては大食の美食家で、
腹いっぱいにご馳走を詰め込み、そのまま食卓に突っ伏して眠って
しまう人物であった。
これらもヒトラーが菜食をしていた理由の一つであろう。
しかし真の理由は決して公けに語らなかった影の部分に潜んでいる。
熱狂や、あその残酷な仕事に手を染めるよう駆り立てた力の源泉を、
情宣活動やカリスマ的魅力だけに求めるのは不充分である。
ヒトラーが為した大きな仕事(!)は、もっと別の力の介在によるもので、
大衆もそれに巻き込まれてしまった。
その力の要となるのが霊的能力で、基盤が作られたのは二十歳前後の事である。
その頃ヒトラーはウィーンに住んでおり、貧乏で無料給食所の世話になり、
どこから見ても浮浪者だった。
健康であるにも関わらず職に就こうともせず、唯一の稼ぐ手段は、描いた絵を
売る事であったが、画商がつくほど認められていたわけではないから、
街頭に立ったり、レストランを回って売りつけていた。
そうやって必要最低限の金を稼ぐと、残りの時間を図書館で読書に耽った。
読んでいたのは東洋の宗教、古代ローマ、ヨーガ、オカルティズム、催眠術、
占星術などであった。
本からだけでなく、秘密の知識を持った人からも知識を吸収していった。
一人は貧しいヒトラーに援助を与えていた古書店の主人エンルスト・
プレッシェであり、もう一人はヒトラーをトゥーレ協会に導き、後に
参謀となったエッカルトである。
プレッシェはメキシコで育った人で、父親はアステカやマヤ人の儀式魔術の
研究をしており、それを受け継いだプレッシェは、中世のオカルティズムや錬金術、
占星術に詳しく、黒魔術を行うグループのリーダーであった、
ヒトラーを気に入った彼は、自分の知識を授けた。
そればかりか人を神秘体験・幻覚体験に導くサボテン「ペヨーテ」を与え、
ペヨーテとプレッシェの導きによって幽体離脱を経験し、アカシック・レコード
を見たという。
だがペヨーテを使いこなす事は簡単ではなく、集中力、思考を客観的に操る能力、
感情のコントロール、本能的欲望の訓練、自己抑制と禁欲的生活が必要であった。
後にヒトラーはこの時期の事を、「生涯で最も深遠な授業をしてくれた
厳しい学校」と回想している。
次に彼の師となったのはエッカルトであり、彼はトゥーレ協会という秘密結社の
中心人物であった。
会員は身分の高いインテリが多かった。
彼らはドイツに近いうちに救世主が現れると信じており、その人を先頭として
ドイツが世界制覇を果たす事を夢見ていた。
その救世主がヒトラーだったわけだが、彼と出会う前に重要な意味を持つ
降霊会が行われている。
この時呼び出した霊の中に、とてつもない邪悪な霊がいた。
魔王レビヤタン(リヴァイアサン)である。
魔王が乗り移ると、霊媒の体から光が発され、体が半透明になった。
部屋の空気は息が詰まるほど苦しくなり、何人かの参加者は逃げ出そうとした。
しかしエッカルトは全々恐れず、臆病者を捕まえて床に投げ倒しながら、密かに
事態を楽しんでいた。
魔王は後にヒトラーの肉体と魂を乗っ取るが、ヒトラーの側にも迎え入れる
条件が整っていたという事だろう。
エッカルトはヒトラーを入会させ、彼の霊性を更に導いて霊的な中心機能を
発達させた。
それによってヒトラーは悪魔と自由に交信出来るようになったが、それを
終始指導していたエッカルトは、
「ヒトラーに続け、彼は踊る。だが笛を吹いているのは私だ。」
と言っていた。
ヒトラーのサークルに参加した、霊的にサン・ジェルマン伯爵から命を
受けていたと思われる女性は、ヒトラーにこうアドバイスしている。
「総統、黒魔術に手を染めてはいけません。
今の所、白魔術でも黒魔術でも、どちらでも選ぶ事が出来ます。
けれども一旦黒魔術に手を出したら、それは貴方の運命を支配するでしょう。
手っ取り早くて簡単な成功を選んではいけません。
あなたには純粋な霊の王国を治める能力があります。
地上に縛られた霊が、貴方を真実の道から逸らせようとするのを許しては
なりません。
それらの霊は、あなたの創造的な力を奪い取ってしまいます。」
これはヒトラーの身近に居たラウシュニングの記録によるものだ。
彼はこの時のヒトラーは既に悪霊に取り憑かれ、暗黒の悪魔の救い難い
餌食となっていたと私見を述べている。
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そして言わば「悪の極」となったヒトラーに対して、「善の極」として現れたのが
ルドルフ・シュタイナーであると言われていますが、シュタイナーについては
別の機会に書かせて頂きたく思います。