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ノーシスの続きです。
地獄における解説の、ミゲルさんの言葉からです。
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たぶん誰でも、地獄にだけは行きたくないと思うだろう。
しかし私達が自分の今まで生きてきた道を謙虚な気持ちで
振り返る時、自分は大丈夫、地獄なんか行かない、と胸を張って
言える人が、どれくらいいるだろう。
私達はみんな、罪深い存在である。
ただそれを自覚して、常に高次元の存在に援助を願いながら
生きていくのと、漫然と日々を送るのとでは、死後、大きな差が
出るという事だ。
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地獄の第一段階に落ちるのは、悪意は無かったけれども、
間違っていた人である。
善人であるが、進化の為の努力をしなかった人も、地獄の第一段階に
落ちる。
現在の状態の留まったまま停滞している事は、すなわち退化なのである。
進化するか、退化するか、どちらかしかなく、中間はあり得ない。
現状維持は退化に他ならない。
彼らは普通に見れば誰にも迷惑はかけていないし、悪い事もしていない。
本人達も自分は天国に行けると思っているだろうが、上昇する為の
何の努力もしなかったのなら、そうはいかないのである。
寺や宗教団体に多額の寄進をした人もこの中に入る。
お金を払ったからといって安心して、努力しなかった人達である。
お金をいくら沢山支払っても天国にはいけない。
お金は物質に過ぎないから、目に見えない次元では何の価値も
もっていない。
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最後の宗教に対する寄進の見方は、寄進行為に対する狂信的な否定ではなく、
あくまで常識的な、お金を寄付しただけで「自分は良い功徳を積んだ」と
満足して、人生の精神や他の点を一切顧みないような人の事を指しているのだと
思われます。
以下ノーシスで使われる祈りです。
「クレド(使徒信経)」は、「カトリック教会」という部分を「ノーシス教会」に
置き換えているだけで、他の部分は伝統的な「クレド(使徒信経)」と同じです。
………
【クレド(使徒信経)】
我は天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、またそのおんひとり子、
我らの主イエズス・キリスト、即ち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、
古聖所に下りて、三日目に死者の内よりよみがえり、天に昇りて全能の父なる
天主の右に座し、かしこより、生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う
主を信じ奉る。
我は聖霊、聖なるノーシス教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身のよみがえり、
終わりなき生命を信じ奉る。 アーメン。
【神のみ母への祈り】
ああ、神のみ母よ、我が一切は御身のものなり。
御身は我が唯一のよりどころにして、支えなり。
我を守り、導き、憐れみ給え。