
「阿弥陀経」を一部でも受持する事で
阿耨多羅三藐三菩提において 不退転になるとされます。
以下 「阿弥陀経」の一部です。
「舎利弗(しゃりほつ)
於汝意云何(おにょいうんか)
彼仏何故号阿弥陀(ひぶつかこごうあみだ)
舎利弗(しゃりほつ)
彼仏光明無量(ひぶっこうみょうむりょう)
照十方国無所障礙(しょうじっぽうこくむしょしょうげ)
是故号為阿弥陀(ぜこごういあみだ)
又舎利弗(ゆうしゃりほつ)
彼仏寿命及其人民(ひぶつじゅみょうぎゅうごにんみん)
無量無辺阿僧祇劫(むりょうむへんあそうぎごう)
故名阿弥陀(こみょうあみだ)
舎利弗(しゃりほつ)
阿弥陀仏成仏已来(あみだぶつじょうぶついらい)
於今十劫(おこんじうごう)
又舎利弗(ゆうしゃりほつ)
彼仏有無量無辺声聞弟子(ひぶつうむりょうむへんしょうもんでし)
皆阿羅漢(かいあらかん)
非是算数之所能知(ひぜさんすうしそのうち)
諸菩薩(しょぼさつ)
亦復如是(やくぶにょぜ)
舎利弗(しゃりほつ)
彼仏国土(ひぶっこくど)
成就如是功徳荘厳(じょうじゅにょぜくどくそうごん)
又舎利弗(ゆうしゃりほつ)
極楽国土衆生生者(ごくらくこくどしゅじょうしょうしゃ)
皆是阿び跋致(かいぜあびばっち)
其中多有一生補処(ごちゅうたういっしょうほしょ)
其数甚多(ごすうじんた)
非是算数所能知之(ひぜさんすうそのうちし)
但可以無量無辺阿僧祇劫説(たんかにむりょうむへんあそうぎごうせつ)
舎利弗(しゃりほつ)
衆生聞者(しゅじょうもんしゃ)
応当発願(おうとうほつがん)
願生彼国(がんしょうひこく)
所以者何(そにしゃか)
得与如是諸上善人倶会一処(とくよにょぜしょじょうぜんにんぐえいっしょ)
舎利弗(しゃりほつ)
不可以少善根福徳因縁(ふかにしょうぜんこんふくとくいんねん)
得生彼国(とくしょうひこく)
舎利弗(しゃりほつ)
若有善男子、善女人,
聞説阿弥陀仏(もんせつあみだぶつ)
執持名号(しゅじみょうごう)
若一日(にゃくいちにち)
若二日(にゃくににち)
若三日(にゃくさんにち)
若四日(にゃくしにち)
若五日(にゃくごにち)
若六日(にゃくろくにち)
若七日(にゃくしちにち)
一心不乱(いっしんふらん)
其人臨命終時(ごにんりんみょうしゅうじ)
阿弥陀仏(あみだぶつ)
与諸聖衆(よしょしょうしゅ)
現在其前(げんざいごぜん)
是人終時(ぜにんしゅうじ)
心不顛倒(しんふてんどう)
即得往生(そくとくおうじょう)
阿弥陀仏極楽国土(あみだぶつごくらくじょうど)
舎利弗(しゃりほつ)
我見是利(がけんぜり)
故説此言(こせつしごん)
若有衆生聞是説者(にゃくうしゅじょうもんぜせつしゃ)
応当発願生彼国土(おうとうほつがんしょうひこくど)。」