日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

お通夜のあと

2014-06-07 | 友人とか近所とか

お隣の奥さんのお通夜が執り行われた日。参列者の中に、故人と仲の良かったK夫人の姿を認めた。町内の葬儀の際はいつも故人と一緒だったK夫人だが今日はひとり。向こうも私に気が付き、隣同士で席に着いた。

後ろの席から話し声が聞こえる。

もう年なんだから仕事を辞めたらって言ったら、孫の借金を返さなきゃならないから辞められないと言ってた。

あんなにあちこち病院へ行って、反って悪いんじゃないかと思っていた。

度胸があるよね。

などと漏れ聞こえてくる。

お隣の奥さんが仕事を辞めて、まだ半年ほど。午前中だけ、徒歩10分ほどの場所にある事務所の清掃の仕事をしていた。

「辞めようかなと思う」と言われる度に

「近いし、午前中だけなんだもの。働けるうちは続けた方が良いんじゃない」と私が言うと

「そう言って応援してくれるのは奥さんだけだ」と笑っていた。他の人に言うと「もう年だから辞めた方が良い」と言われるのだと話していた。

 

読経が終わって故人の生い立ちに触れ、最期の様子については散歩に行くと家を出て事故に遭われた。家族が懸命に探したが2日の午後○時○分に亡くなられた と言及。

多くの人が単なる事故ではないと感じているには違いないけれど、家族が懸命に探したとの文言はどうなのだろう。

 

斎場は歩いても10分かからない。帰路は故人と仲の良かったK夫人とご一緒した。

道路が一本違うのでいまは滅多にお会いする事は無いが、K宅の近くに娘の友達がいたので娘が小さかった頃は○ちゃん、○ちゃんと言ってK夫人に可愛がってもらった。私がパートに行っていた頃は同じバスに乗り合わせるのでよく話もした。随分前にご主人を亡くし、遺されたご主人のお母さんを最期まで世話された穏やかな人だ。

その後大変な病を得たとはお隣の奥さんから聞いていた。いまも病院通いは続いている。

お隣の奥さんが一番頼りにしていたのはK夫人だろうと思う。

病院ではどこも悪いところが無いと言われる。だからご主人も娘さんも本人の我がままだと言って相手にしなかった。

電話がきて話を聞いていたら、後ろから娘さんが「そんなに悪いんだったら救急車呼んでやる」と怒鳴るように言うんだよね。

 

 K夫人の話を聞いて、家族にも理解してもらえないのでは本当に辛かっただろうなと思った。母親の事を一番心配してくれるのは娘さんなんだから と私は言ったけれど、お隣はそうではなかったんだ・・・

二人の娘さんは、どちらも遠くない距離に住んでいながら両親の住む家に滅多に来なかった。一番来たのは孫さんだ。どうしようもない孫 と言いながら可愛くて可愛くて仕方なかったようだが、娘さんには「お母ちゃんが甘やかすから(悪くなった)」と言われるんだと話していた。娘は母親に対してきついけれど、でも心配するのも娘なのだと思っていた。

最近は開口一番「痩せたっしょ」と言っていたが、もともと小太りの奥さんだったのが半年足らずの間にひどく痩せた。どこも悪いところは無いと言われても、半年足らずの間にあれだけ痩せたのだ。旦那さんはともかく、娘さんも心配しないとは思わなかった。

 

誰も分かってくれない事に疲れたのか、希望を失ったのか。こんな結末を迎えたのは本当に切ない。

 

 

コメント
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