我が家のベランダはお隣の道路から玄関に至るアプローチに面している。
お隣の奥さんは用事がなくても出たり入ったりする人だった。そして顔見知りが通りかかると声をかける。顔を合わせることは無くても、ベランダ越しに見かけない日は無かったと言って良い。
私や夫が外に出ると、かなりの確率でお隣の奥さんも出てきた。最近は自分の悩みや体調の悪さを訴えるだけだったが、それ以前はご近所の誰彼の話をしてくるのだった。それが嫌だったのだが、全く出入りがなくなって顔も見られなくなってしまうと寂しい気持ちがわき上がってきた。
昨日は初七日になるのでご主人と娘さんが来ていたが、葬儀が終わって小さな箱に納まった奥さんが帰って来て、その日からご主人は娘さんの所に行ったようだ。2日間、お隣の出入りが全く無いのだ。隣人となって40年近くを過ごしたのだから、姿を見る日常が当たり前になっていたのだと気付く。
昨日から読み始めた桐野夏生さんの「だから荒野」
46歳の誕生日を家族で祝おうとレストランを予約した主婦。夫と息子の身勝手な言動に、ディナーの席を途中退席したまま家に帰らない決心をする。
夫や子供の身勝手さに家を出ていく話は、お隣の奥さんの心情を彷彿とさせる。
体調が悪いと訴えても心配もしてくれない身勝手な夫。子供も親身になってくれず、分かってくれる人は誰もいない。仕事を辞めた後にこんなに辛い日が来るとは思ってもいなかった。74歳という年齢ではやり直す事も考えられない。人との交流を求めたけれど、結局誰も分かってくれない。・・・その絶望を思うとやり切れない。
土曜日から夫が留守で食事の支度から解放され、時間があったというのも気持ちが落ちる原因なのだと思う。夫が帰宅して、また日常の生活が戻る。そして日常の生活を繰り返すうちに、この寂しさも薄れていくのだろう。