相変わらずの猛暑日続きだが、また少し日が短くなったようだ。
夕日が、雲を射て、空に白い光が幾条にも飛び出している。
ドラマチックと言うより、不思議な光景だ。
なんとなく「白虹日を貫く」という言葉を思い出すが、これは虹とは言えないだろうし、単なる連想に過ぎない。
白虹貫日というのは戦乱の起こる前触れなのだそうだが・・。
話は飛ぶが、数日前にラジオを聞いていたら、戦争をどう伝えていくかというテーマについて、若い学者が語る、という番組を聞いた。
戦争に関係する博物館などを訪ね歩いた、という著書も書いている学者だ。
この人は世間的にはその発言がかなり物議をかもしている人らしくて、僕などが取り上げてあれこれ言わないほうがいいのかも知れない・。ただ、こういう思い切りのいい発言を聞きたいと思う人も(良きにつけ悪しきにつけ)いるだろうし、特にマスメディアなどには気に入られそうな気がする。
そういうマスコミの体質というのも、どうも困ったものだという気もするが。
僕が耳をそばだてたのは、ちょうど今、「日本の一番長い日」(半藤一利)を読んでいるところだからだ。
半藤氏は現在も盛んに活動されて、本もたくさん出されているが、この本が大宅壮一名義で出版されたのは昭和40年、いまから50年も前のことだ。
読み始めてすぐに思ったのは、ものすごくいろいろな人に気を遣いながら書いているな、ということだ。
昭和40年というと戦後20年、まだ終戦当時の戦争指導者や政権の関係者たちの多くが在世であった頃だ。
宮城事件などについても、全体としては叛乱兵たちを批判する姿勢を示しながらも、あたかも皆国のためを思って必死で行動した結果なのだ、とばかり、非常に回りくどい表現を幾重にも重ねている。
新幹線が開通し、テレビでは鉄腕アトムやサンダーバードが放映されていた時代であったとはいえ、「先の大戦」はまだつい先日の出来事であったのだろう。
そういうことを思いながら読み進めていただけに、この若い学者が、自由に言いたいことを言っている姿が余計印象深く感じられた。
それにしても、日本の戦争に関する教育が、岐路に立ちつつあるのは確かかも知れないな。
戦争経験を持つ人も少なくなり、体験話を聞くという形の伝承は難しくなってきている。
僕には、この学者はどうも茶化すことにこだわっているみたいでどうかな、と思うことも多いが、現代の人々が知恵を絞り、もうすこし世界全体を見通すような教育の体制が整えられるべきなのかな、とも思う。しっかりとした理論書みたいなものも必要だと思う。
名著とされ今でも書店で平積みされている、岡崎久彦大使の「戦略的思考とは何か」にしても、刊行から30年以上が経過している。僕等はその時代を生きてきたが、今の若い人は当時の時代背景を知らないのだから、読みにくいのではないかな。