先年亡くなった岡崎久彦大使は著書の中で、日本が太平洋戦争で大敗を喫するに至った要因として二つの「誤った決断」を掲げている。
大正12年の日英同盟の失効(四か国条約への発展解消)と、昭和16年の真珠湾奇襲攻撃である。
特に後者については、当時諸情勢により開戦やむなしという状況に追い込まれたとしても、本来描くべき戦略および戦術を欠いていたとし、もし戦うならば、せめて(48時間の回答期限をつけるなどして)最後通牒を突きつけるような形にすれば、その後の展開が大きく変わっていただろうと述べている。
アメリカという国は、複雑な内政事情が時に外交に影響を与えるという、欧州はじめほかの国では見られない特異な政治形態を持つ国だ。ともすれば外交の専門家たちも見通しを誤る。太平洋戦争も、日米の対立を仲介する国など存在しないと思われていたが、本当は強力な仲介者が目の前にいた。それは米国民世論であった、と。
開戦前はほとんどの米国民が戦争には反対していたのが、12月7日を境に世論が全く変わってしまったことはよく知られている。
岡崎氏は続ける。
後年、ベトナム戦争時に外務大臣(だったかな)であった方と話す機会があったが、そのとき言われたことは「米政府は我々と戦うと同時に、米国民とも戦わなければならなかった。我々はただ目の前のアメリカ兵士を一人ひとり殺していけばよかった」といわれたという。岡崎氏が硫黄島では2万人の兵士が亡くなった、というと、大臣は絶句し、なぜそこまでしても勝てなかったのか、信じられない面持ちでいた。
緒戦の戦略の誤りは、その後どのようにしても修正しきれなかったのだ、と。
外交の権威である岡崎氏の意見なので十分に傾聴されなければいけないと思うが、親米派である氏の意見の他にも、様々な見解をお持ちの方も多いと思う。
米政府が日本の奇襲を事前に察知しておきながら、それを秘匿してわざと被害を出させ、世論を操作しようとした、という謀略説も、昔から多くの人が支持している。
そこまで言わなくても、日本国政府が平和的解決を断念せざるを得なくなるような外交交渉を展開した米政府に、まったく落ち度はなかったとは思えない、とは(素人ながら)僕も思う。
昭和初期には、アメリカやアメリカ文化に親しみを感じていた日本国民が多かったことも、よく知られるところだ。アメリカの映画や音楽も、愛好する人は多かった。
アメリカ大衆が日本にどれほど関心があったかは知らないが、彼らは旧世界とはいちどは決別し、自分たちの生活を大切にしようとしていたはず。余程のことがなければ、他国に銃を向けるようなことはしたくなかったはずだ。
もっとも、去年読んだ徳川無声の日記は開戦の日から始まっていた。日本中が高揚し、徳川氏も自分に何ができるか、あれこれ思いを巡らせた、と書かれていた。
日本の大衆も、報道その他から米国の圧力に憤りを感じていたのだろう。
岡崎氏の言われるように、アメリカは中央政府と大衆との関係がちょっと特殊な面があるが、大衆がそれなりの力を持ち、戦争を後押しするという点は、民主主義をとる国どこでも共通しているように思える。現場がその気にならなければ、戦争は続けられない。ドイツの兵士だって、最後はカイザーに嫌気がさして銃を捨てたのだ。
アメリカはベトナム戦争で自国の国民に背かれ、苦労した。
だが、湾岸戦争はその教訓を生かし、情報操作のようなこともあったらしい。イラク戦争とそのきっかけとなった同時多発テロ、これにも謀略説がささやかれている。
今年はいわゆるポピュリズムという言葉が紙面をにぎわすことが多かった。英国民投票とか、米国大統領選挙とかね。
大衆は力がある。たぶんずっと昔から、最終的には大衆が世の中を動かしている。
それをうまく使うと、梃子のように世界をうごかすことができるし、場合によってはその力を封殺することもできる。
動き始めたら、もう止められない。最初に間違ったら修正がきかないのだ。
だから、大衆一人一人は、よほど自覚して行動しないと。
う~ん、なんだか当たり前の結論になっちゃったな。。