薄紅色のことを古くは「はねず」といい、 この梅も同じ名で呼ばれていた。特に山科小野の真言宗善通寺派曼荼羅寺隨心院門跡の紅梅は古くからこの名で親しまれていたのである。
昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに、百夜通いの悲願を込めて通い続けたにもかかわらず九十九日目の大雪の夜についに代人を仕立てたのが運のつきで、少将にはもはや小町の姿を求めることは出来なくなった。
その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい日々を過ごしたという。
”はねず踊り”は「唐棣(はねず)踊り」とも書くようで、
唐棣はニワウメの古名らしいです。
色そのものを表す場合は、朱華(はねず)色があり、
同じような色合いのニワウメから唐棣踊りに結びつく
ようです。
この当たりはまた別の話題として登場させたいと思います.
昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに、百夜通いの悲願を込めて通い続けたにもかかわらず九十九日目の大雪の夜についに代人を仕立てたのが運のつきで、少将にはもはや小町の姿を求めることは出来なくなった。
その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい日々を過ごしたという。
”はねず踊り”は「唐棣(はねず)踊り」とも書くようで、
唐棣はニワウメの古名らしいです。
色そのものを表す場合は、朱華(はねず)色があり、
同じような色合いのニワウメから唐棣踊りに結びつく
ようです。
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