(写真は映画『墨攻』とは無関係。雲南省麗江古城のカブキ役者のように隈取した素敵な男性。)
墨攻
満足度 ★★★☆☆
感動度 ★★★☆☆
迫力 ★★★★☆
革離の心の揺れ動き ★★★★☆
アンディ・ラウが出ていたよ~ ★★★★★
子どもと映画『墨攻』をみた。
この映画は2週間以上がたっていたせいか、開場は30人ばかりで空席が目立ゆ。
最近CDを聞く事の多いアンディ・ラウはとても素敵。
革離(アンディ・ラウ=墨氏)の自分の信条を成し遂げるがためには自分の思いと逆方向に流れる現実に悩む、複雑な心理状態を緻密に描いた秀作。
革離は頭脳で計算し、大人数の敵から梁という小さな国を守ろうと試みる。
彼の戦略は完璧で、ことごとく相手を確実につぶしてゆく。
敵の死と梁の民の死・・・
やがて敵から梁の国を守った革離は民衆から英雄としてたたえられる。 その表現の一つとして子どもたちが革離をたたえる数え歌を歌いながら遊ぶ無邪気な姿が画面左に映し出される。
革離が深刻に話す遠くからもその子どもたちの歌声はかすかに聞こえる。
そして愛する息子も失い、革離の人気に対する梁王の妬み、嫉み・・・芝居でも映画でも折り返し地点(何かのきっかけ)というものがあるが、この映画の場合は民衆の革離の信頼の芽生えから、思わぬ方向に話は展開する。
地位や名誉には囚われず民衆全てを愛し守るがために、罪無き民衆を自分の勝手から死に追いやる現実を目の当たりにし、悩む革離。
兼愛(自分を愛するように他人を愛せ)を謳う彼は、愛するたった一人の女さえ助けることができなかったという愛反する事実・・・戦いという嵐の波が過ぎ去った後、親を失った多くの子どもたちをつれて、静かに道を一歩また一歩と歩み進むのであった・・・
映画館を出ると、女子高校生3人が 「原作、あんなんやった?」
「ぜんぜんちごたやん・・・」
と口を尖らせていた。私は子どもに
「あの高校生たち、原作読んでからきたんだって。まじめやね。」
すると
「墨攻は漫画やったと思うよ。僕は読んでないけど・・・」
と教えてくれた。
そうか、漫画だったのか・・・どうりでこの内容から考えると、焦点が少しオブラートに包んだ感が拭えないわけだ。革離の心の揺れ動く部分は見ごたえがあったが、墨氏といった大きなテーマを持ってきただけに、期待が大きすぎた私が悪い。
漫画や大衆小説を映画に作り変えた場合、出来不出来がはっきりして、難しいのかもしれないな・・・なんて書くのはよしましょうっと・・・
それにしても中国・日本の過去の歴史関係を考えると反戦思想の墨氏をテーマに、ショウチク(日本)も協力して映画化するところなんぞは見事だというかユニークだというか・・・
この作品を作り上げた監督もなかなかの大物だといえよう。
それを考えるとなかなか面白いんじゃない!