乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

中国・蜀と雲南のみち 司馬遼太郎 街道をゆく 20

2007-02-24 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 (写真は移動中、バスの中から撮影。雲南省・大理の棚田。2月初旬、菜の花が咲いている

賀州よりも尚鉄分を含む赤土と、菜の花の黄と、茎や葉の緑・・・

ここを訪れると、押入れに眠っている油絵道具一式を出して、筆を走らせてみたくなる。)

 

 

 記録だけ 2007年 26冊目

 

   中国・蜀と雲南のみち

         司馬遼太郎 街道をゆく 20

             

 

 司馬遼太郎

 発行所 朝日新聞社

 1987年4月20日 第1版発行

 1998年6月1日  第12版発行

 265ページ  400円+税

 

 

 本日読書二冊目は、『中国・蜀と雲南のみち 司馬遼太郎 街道をゆく 20』

 日本人のルーツや少数民族の文字、イ○ンとのかかわり、食べ物など面白い話がいっぱいで興味深く読む。

 街道をゆくシリーズは興味深いので、いずれ他のものも読んでみたい。現在、図書館は整理期間中。本は14冊、めいっぱい借りている。街道シリーズはもう少し先になりそうだ。

 

 雲南省へは須田画伯と旅・・・か。興味深い。

 

 

コメント (2)
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2007年、大増税時代に勝つ!荻原博子の家計力

2007-02-24 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は移動中、バスの中から撮影。雲南省・大理。2月初旬だが、菜の花が咲く。

まるで唐三彩のような色彩だ・・・と、司馬遼太郎氏の言葉を借りる

唐三彩のような色彩

 

 

 記録だけ 2007年 25冊目

 

 2007年、大増税時代に勝つ!

           荻原博子の家計力

             

 

 荻原博子(1954生)

 (株)角川SSコミュニケーションズ 

 2006年12月10日 第1版発行

 205ページ  1400円+税

 

 

 

  記録はしてないが、荻原博子さんの家計力関係の本(主婦の友社・2006年12月)は先月にも一冊流し読んでいた。

 海外旅行保険の裏技は使えそうなので、早速検討。

 現在加入の保険の説明細部も熟知する必要がありそうだ。

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シュウシュウの季節/天浴/XIU XIU/The Sent-Down Girl

2007-02-24 | 映画

(写真は中国・大理で出会ったかわいい子ども)

       

     シュウシュウの季節

 

 満足度  ★★★★★+おまけ★★

 感動度  ★★★★★+おまけ★★

 お勧め度 ★★★★★+おまけ★

 色彩美  ★★★★☆

 遊牧民生活の描き方★★★★★

 話の展開 ★★★★★

 

 

 1998 アメリカ

 監督 ジョアン・チェン 

 キャスト ルールーシュウシュウ)      

       ロプサン

       ガオ・ジエ

       シャン・チェン

       リー・チチェン

       ガオ・シャン  他

 

 感想を記録するよりもう一度みたいと思わせる素晴らしい映画。

 原題は『天浴』。『XIU XIU 』や『The Sent-Down Girl』、『シュウシュウの季節』などのタイトルを付けられているが、シュウシュウとかかわりあう中年のチベット人牧夫ラオジンの存在感を考えると、『天浴』が一番ふさわしいと感じる。

 

 

 1975年 プロレタリア文化大革命末期の中国・四川省、成都に住む仕立て屋の娘シュウシュウ。

 下放政策により辺境の地で中年のチベット人牧夫ラオジンと半年間 放牧生活を強いられる。高原の不住な生活。

 ラオジンは若かりしこと、ある事件で男性のそのものを切り落とされていることが、後々になってこの話を自然に流れることも付け加えておきたい。

 

 

 シュウシュウは帰ることを待ち望みながらも暖かに見守ってくれるラオジンと懸命に奥地の生活を送る。

 半年後、軍から迎えは無い。

 文化大革命は終止符を打ち、下放学生達は既に故郷に帰りはじめていた。そしてシュウシュウの存在は忘れられていた。

 あせるシュウシュウ。

 突然現れた、行商人の若い男に恋心を抱く。一方男はシュウシュウの体目当ての男に紹介、次々と違った男が高原のテントに通う。故郷を思い役人に縋るように男に身を委ねてしまい、堕落の一途をたどる。

 愛する男に送り込まれた中年男は顔に赤いスカーフををかぶせ、女を道具のように扱った。

 やがて妊娠。

 シュウシュウは病院で騙されていたことと事故と偽って足を銃で打てば早く故郷に帰れることを知る。

 

 

 シュウシュウはテントに戻り自分の足先をう撃とうとする。

 できない・・・

 シュウシュウは甘え続けていたラオジンに

「私にはできない。あなたしか頼めないのよ・・・」

と銃を渡す。

 ラオジンは足を見据えて銃を向ける。

「待って・・・」

 シュウシュウはお下げの三つ網をくくりなおし、赤いスカーフを取り出し、首に巻く。

 先の見えないシュウシュウの未来に自分の置かれた身体的精神的不住を重ね合わせ、同時に押さえ込んでいたシュウシュウへの愛情は一気に爆発する。それはシュウシュウに対する思いやる心そのものでもあり、そういった表現しかすることのできない男の切なさは、シュウシュウを巡って二度ばかり靴を隠した感情の上昇とも共通点がある。

 ラオジンはシュウシュウの胸をめがけて銃を撃つ。

 

 

 以前にシュウシュウにわがままを言われた風呂(天浴)にシュウシュウを横たわらせ、銃の音が鳴り響く。

 やがて冬。

 雪が降り始め二人の姿は消えているが、風呂の際から赤いスカーフの端が見えていた。

 

 悲しい・・・あまりにも悲しすぎる。

 後半になってこの重い内容が作品を重厚且つ上質にする。

 私の静かに流れ出る涙は止まらない。

 

 

 シュウシュウの話は消して個人的なものではなく、多くの人々が悲しい運命をたどっていた。

 日本人はプロレタリア文化大革命末期の裏の実態も知らずして、上野のパンダに喜んでいたことを思い出す。

 シュウシュウやラオジンを追い詰め、悲劇の運命をたどる以外に道の無意一部とが甘いにも多い文化大革命って一体なんだったのだろうか・・・

 釈然途しない歴史の流れをアメリカが上手くとらえた秀作。素晴らしい映画だった。

『この映画は中国で放映されたのだろうか』という興味と疑問点の残る作品でもあった。

 

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隠し剣 鬼の爪

2007-02-24 | 映画

(あらすじ無しの気ままな感想だけです。

写真は中国の広州。手の平で水墨画などを描いておられるところです。)

 

 

     隠し剣 鬼の爪

 

 

 満足度 ★★★★☆

 感動度 ★★★☆☆

 構図のとり方 ★★★★★+おまけ★★ 

 

  2004 日本

 

 監督  山田洋次

 原作 藤沢周平 『隠し剣鬼ノ爪』『雪明かり』

 脚本  山田洋次

     朝間義隆

 撮影 長沼六男

 

 キャスト 

   緒形拳  

   笹野高史 

   永瀬正敏

   松たか子 

   小林稔侍

   倍賞千恵子

   高島礼子

   田中邦衛

   吉岡秀隆

   田畑智子  他

 

 

『たそがれ清兵衛』『武士の一分』は劇場で観ていたが、『隠し剣 鬼の爪 』を見逃がしていた為、金曜ロードショーで見ることができ、ラッキーだった。これで何とか三部作を見たことになる。

 他の二作品もそうだが、適度の感動、娯楽性にもたけ、結構楽しむことができる。

 

 

 山田洋次監督はいつもどこかに温かみをもたらせているので、安心して映画に向かうことができる。

 但しどの作品も観終わった後の誠大きな満足感にはかける。一般大衆を意識した映画本来の役割ともいえる大衆映画を見事に描きあげているところが強み。そのくせ山田洋次のコマ送り毎の構図や表情、仕草やメークへのこだわりは、映画を上質な大衆映画に仕立て上げているところが心憎い。また原作も吟味し、その役に合わせた役者を的確に起用しているところがすごい。

 

 

 キャストの順番は主役以外は、準主役にかかわらず気の向くまま覚えているだけをかきあげたに過ぎない。

 したがって少しだけでてきて光っていた緒形拳さんや笹野高史さんは結果的に上に名をかきあげてしまった。

 

 

 笹野高史さんの階段を駆け上がる姿は、ユニーク且つ見事な演技力。さすがの笹野高史さん。短い出番でも他の俳優にじゃまにならない事をふまえながら、確実に自分の見せ場を作る。

 

 私の場合、緒形拳さんや倍賞千恵子さんなどもでておられると、日本映画を観てるといった満足感が得られる。

 初めの方に倍賞千恵子さんが控えめに少し出ておられたが、映画に厚みが生まれるから不思議。

 

 他にも牢獄にかゆを差し入れ売れをへし折られて逃げ帰る腕の仕草や表情は素晴らしいものだったが、生憎私は役者の名前を知らない。

 

 田中邦江さんは今回の役柄はぴったりとはまっていて違和感を感じなかった。いつもは役柄や容姿(失礼)の割には言葉の発音が美しすぎて崩しきれない彼の台詞に、少し引っかかっていたが、今回はよかった。油絵でもデッサン力は必要だが、中途半端に絵をたしなんでいると、完成に近いデッサン力をつぶすことができない場合がある。したがって、きれいな万人受けのする絵は描くことができて一般受けはするが、芸術としては成り立たないこともしばしば起こるのが現状。ただ、最近になって私は売り絵の重要性にも気付いてきた。需要と供給にマッチした売り絵はやはりある意味実力があり、それは絵画以外の各方面にも当てはまる。それを考えるとやはり、故安部公房氏の彼を起用する眼力は鋭かったといえる。

 

 高島礼子さんの黒のかぶりの衣装は美しかった。この映画の中で一番感心を持った装いは彼女の決意の黒だった。

 

 

 さてさて今回一番印象に残ったのはコウライ屋の娘でもある松たか子さん。場面に合わせたメークや表情、台詞や声色の変化が美しい。素朴な可愛らしさを控え目に表現した彼女の表情の豊かさは、この映画のよさを十二分に引き出す役目を果たしていた。過去も含めて今回の『隠し剣 鬼の爪』の彼女が一番好きだったかもしれない。さすがコウシロウサンの娘、決めるべきところは決めるといった感じがした。

 

 

 果し合いの直後相手の右腕を鉄砲で打ち落とし、もう一発で射止める。

「鉄砲で殺されるなんて、悔しいだろうな・・・」

の武士としての言葉が印象的。

 直後はね飛ばされた右腕を棒?で死体近くに掃き転がす場面が、カブキに『イモアライカンジンチョウ』の一場面 (お掃除お掃除・・・といって頭を掃き集めて掃除する) を連想させ、笑うところでもないのに、妙に小さな笑いの波を感じてしまった私って馬鹿だなぁと思う。

 

 

 最後にこの作品の構図は基本をふまえながらも斬新で、とても好きな構図の連続で落ち着いた。ぴたりと決まりの画面屋柱や気を画面の片方においての人物方向変形構図、斜め構図、遠近を意識した構図、被写体を上下切手の絵手紙のような不安定な構図を見事に使い分けが素晴らしい。かなり興味深く楽しませていただきました。

 

 

 

 好き勝手に感想を書いております。

 間違いやお気づき、お叱りの点がございましたら、お知らせいただけましたら幸いです。

 

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