奈良国立博物館『天馬』展
先日、奈良国立博物館『天馬』展に行った。
『天馬』展といった漠然とした展覧会の名前。
本当なら、みのがしてしまうところだったが、親切な方に教えていただいて、内容を知り、見ることができた。
感謝の気持ちは大きい。ありがとうございます。
家族も次回の『法隆寺展』と混乱していた。
内容を伝えると、今回は家族もみたいものがあるという。
私とて、同様。
二人つれだって行くことにした。
会場は平日 昼ということもあってかがらがら。
しかしゆっくりと見て回り、三時間もすると、会場はいっぱいになった。
今回のテーマは、太古の東西交流物語る 奈良国立博物館『天馬』展 、とのこと。
ことごとく 『天馬』をテーマに世界の美術品を集めた事は、会場を進むに当たり明白。
会場内の展示物で気に入った者に一部を記録しておこう。
<四騎獅子狩文様錦(奈良・法隆寺)>
私は高校生の頃から、獅子狩文様が好きだ。
歌舞伎の荒事のようで、かっこいいではないかと、ひとり、悦に浸っていた事を思い出す。
全体に緑ベースの四騎獅子狩文様錦は、興味深かった。
保存状態も極めてよい。
イランと中国の接点が顕著で、馬の尻には『吉』の字が記されている。
全体はイランの文様であるが、空部分は葡萄や葉っぱなどのイラン的植物文様ではなく、中国の吉祥とされる桃の絵柄が描かれていた。
よく見ないと見落としてしまうかも知れないが、まさに今、騎士に矢でいられようとしている中央の獅子。しっぽや獅子の躰部分で、種子を表わしている。
この種子を含めた植物文様もイランではよく見られる柄の一つ。
一旦切れた種子の絵には真上に向かって茎が伸び、葉が出て、空(上)部分では桃がたわわに実っている。
こういった種子が伸びていく文様は、イランの文様の中でも非常にポピュラーなもののひとつといえる。
騎士(王)が獅子を射るといった文様は、古代からイランでは非常に多い図である。
変形文様も加えると、ペルセポリスなども含めて、数え切れないだろう。
これは一説によると、王権交代を意味しているともいわれている。
なるほど、そういう風に考えると、よくある獅子が射られる図と、ペルセポリスの牛を噛む獅子(ライオンのような架空動物)との絵の矛盾点にも説明がつく。
文様は面白い。
<有翼人面形鏡板付・イラン・岡山オリエント美術館>
これも馴染みの形を示す聖獣。
テヘランでは考古学博物館に二度ばかり足を運んだが、ここでもこういった形の青銅具をいくつか見た。
私はこの形が好きである。
エスファハーンのバザールに行くと、パーフェクト・コピーを取り扱った店が一軒。こういった青銅製の聖獣や、陶器製の聖獣、壺などがある。
コピーとはいえ店主は胸を張って、
「パーフェクト・コピー。バット、ベリー ビュティフル。」
を連発。
お値段はコピーだが、驚くばかりに高く、おみやげの域は超えている。
<獅子グリフィン形飾金具・イラン・中近東文化センター>
これも足が特徴的。
前足は写実で甲も高い。
後ろ足に至っては長方形で表わし、形を単純化している。
全体に見て、美しい。
<緑釉双口ランプ・中近東文化センター>
重厚な暗緑釉。
美しくて、欲しかった・・・・・・。
ため息がでる。
<イタリアの壺類>
色彩豊か、文様も独自で、見入ってしまう。
だが、道脇で売られている土産品を思い出すと、気持ちは萎える。
<西大寺(同市)の日天・月天像(国宝)とギリシャ陶器の赤像式クラテル(混酒器)>
馬や馬車に乗る仏神が描かれており、構図の類似性が東西文化の接点を物語っている。
こういった絵柄は、イランの浮き彫りにも認められる。
<竜首水瓶・中国・東京国立博物館>
イランの花瓶と思って近づくと、中国の物だった。
形や聖獣の顔文様が似すぎている。
ここでもイランと中国の交わりが感じられる。
<石山寺縁起 第7巻・石山寺>
この縁起絵巻は岩波新書で読んでいて、一度見てみたかったもの。話の臨場感もあり、感激した。
続日本記には走馬は人事に使われたと説明が記されていた。
なるほど、日本ばかりでなく、諸外国のものを見ても祭事や墓にも使われた物も多い。
中国をはじめ世界でも白馬や白蛇など、白と吉祥をあわせる事により、一層縁起が良いとされている。
会場には6割方、白馬が目についた。
他にも好きな展示物がいっぱいで、楽しい時間を過ごすことができた。
長くなるので、このあたりで止めておくことにする。