
写真は『殺生石』
土曜日から庭師に入っていただき、、猫の額の庭をいじっていただいております。
つい先日までの裏庭の一部はこんな感じでした。
随分、というかほぼ、木を切っていただきました。
木を切ると気を削るような思いがいたしました。
切っていただいている最中、木に手を合わせていました。
私って、案外、信心深いのか知らんと感じます。
玄関のポーチ近くの小さい方の灯篭や石も撤去していただきました。
お気に入りの毛っこい丸い石は、裏庭へ移動。
この石には以前から名前をつけています。
その名も
大悦
チェスター・ビューティ(図書館)所蔵の絵巻物『大黒舞』に出てくるわらしべ長者のような男、大悦です。
丸くって、縦に傷のような模様が入り、どこか、親しみがわく石です。
大変重いのでクレーンで吊り下げ、砂利に板をつぎ置き、移動車(?)に置いた石を複数人が定位置に移動。
石にはチェーンがついたままです。
裏庭に三本の太い丸太の先が鉄で縛ったものを、移動させた石を中心にして、三本足(丸太)を広げて、立てます。
太いチェーンで石を釣り下げ、滑車で石を吊り下げ、石の位置や角度を聞いてくださいます。
置かれた磯下のチェーンが外れにくく、庭師は一苦労されていました。
明日は途中まで切っていただいた木(植物)の根っこを抜くかあるいは切る作業です。
半分は砂利、半分は緑を保っていた裏庭ですが、本の一部を省いて、ほぼ砂利を入れていただく予定です。
一番大きな生駒石の横の灯篭がそびえ立つ状態にはなりますが、落葉樹二、三本と、目一杯大鉢の季節の植物を置く予定。
今の季節、植物を植え替えると枯れるそうですので、秋冬まで待ちます。
庭師に尋ねると
「木を切った時点で体裁もへったくれもないでしょ。」
と荒い言葉。
なるほど、奈良のお庭はこれまでも我が家も含め、木や植物の多いお宅が多い。
今の状態も、10年ばかり前に同じ庭師に入っていただいて、木の量を半分程度に減らしてるのですが。
どうもしっくりとこない。
生まれ育った京都。
齢を重ねると、京都のお寺の庭が懐かしいものです。
なので、今回、砂利で覆っていただくことにしました。
とはいえ、白砂枯山水というのは、我が家では無理。
砂利で楽しみたいと思います。
最近、裏庭のテーブルで夫婦二人お茶をすることが多い私たち。
庭師が貶そうが見下そうが、私たちのライフスタイルです。
少し暑さが落ち着く頃には、イランのように厚手のペルシャ絨毯を敷いて、お茶を飲みながら、寝転んで本を読みたいと思います。
学生の頃借景枯山水の庭のある寺で、一人文庫本を一冊読了していました。
借景も枯山水も高嶺の花ですが、自宅でもできる範囲で、学生の頃の楽しみを再度味わいたいと思います。
ご訪問、誠にありがとうございます。
感謝申し上げます。
土曜日から庭師に入っていただき、、猫の額の庭をいじっていただいております。
つい先日までの裏庭の一部はこんな感じでした。

随分、というかほぼ、木を切っていただきました。
木を切ると気を削るような思いがいたしました。
切っていただいている最中、木に手を合わせていました。
私って、案外、信心深いのか知らんと感じます。
玄関のポーチ近くの小さい方の灯篭や石も撤去していただきました。
お気に入りの毛っこい丸い石は、裏庭へ移動。
この石には以前から名前をつけています。
その名も
大悦
チェスター・ビューティ(図書館)所蔵の絵巻物『大黒舞』に出てくるわらしべ長者のような男、大悦です。
丸くって、縦に傷のような模様が入り、どこか、親しみがわく石です。
大変重いのでクレーンで吊り下げ、砂利に板をつぎ置き、移動車(?)に置いた石を複数人が定位置に移動。
石にはチェーンがついたままです。
裏庭に三本の太い丸太の先が鉄で縛ったものを、移動させた石を中心にして、三本足(丸太)を広げて、立てます。
太いチェーンで石を釣り下げ、滑車で石を吊り下げ、石の位置や角度を聞いてくださいます。
置かれた磯下のチェーンが外れにくく、庭師は一苦労されていました。
明日は途中まで切っていただいた木(植物)の根っこを抜くかあるいは切る作業です。
半分は砂利、半分は緑を保っていた裏庭ですが、本の一部を省いて、ほぼ砂利を入れていただく予定です。
一番大きな生駒石の横の灯篭がそびえ立つ状態にはなりますが、落葉樹二、三本と、目一杯大鉢の季節の植物を置く予定。
今の季節、植物を植え替えると枯れるそうですので、秋冬まで待ちます。
庭師に尋ねると
「木を切った時点で体裁もへったくれもないでしょ。」
と荒い言葉。
なるほど、奈良のお庭はこれまでも我が家も含め、木や植物の多いお宅が多い。
今の状態も、10年ばかり前に同じ庭師に入っていただいて、木の量を半分程度に減らしてるのですが。
どうもしっくりとこない。
生まれ育った京都。
齢を重ねると、京都のお寺の庭が懐かしいものです。
なので、今回、砂利で覆っていただくことにしました。
とはいえ、白砂枯山水というのは、我が家では無理。
砂利で楽しみたいと思います。
最近、裏庭のテーブルで夫婦二人お茶をすることが多い私たち。
庭師が貶そうが見下そうが、私たちのライフスタイルです。
少し暑さが落ち着く頃には、イランのように厚手のペルシャ絨毯を敷いて、お茶を飲みながら、寝転んで本を読みたいと思います。
学生の頃借景枯山水の庭のある寺で、一人文庫本を一冊読了していました。
借景も枯山水も高嶺の花ですが、自宅でもできる範囲で、学生の頃の楽しみを再度味わいたいと思います。
ご訪問、誠にありがとうございます。
感謝申し上げます。
今日も暑かったですね!!乱鳥さん、お疲れ出ませんように!!お体大切になさってくださいね!!
大黒舞という書物は、図書情報館にございます。
単品で絵巻物が並んでいる、確か美術の束だったと思います。
厚さ2〜3センチの真っ赤な布張りの本だったと思います。
図書館に行かれた際はお時間が許せばみてくださいね。
ただいま図書館は理系本の特集です。
和綴じの興味深い本がガラスケースに展示されています。
今回の特集は割合に充実しています。
今日も暑くなりそうです。
水分補給され、楽しんで下さいね。
所で、日本の舞楽の始まりは、いつなのでしょうか?奈良には、聖徳太子が設立した団がありましたね✨聖徳太子より少し前に新羅のチヌン王の時にファランという集団が作られた物を聖徳太子が模倣したと、書かれた物を読んだ覚えがありますが、これは孔子の楽を尊んだという事が始まりでしょうか?韓国ドラマのファラン(花郎)は、分かりやすく、楽しいドラマでした😆また、音楽、舞を習得して、披露する場面もありました。
日本では、その後、世阿弥等が出現するのですよね✨日本の独自性が開花されたのは、このころなのでしょうか?田舎者の私は、能と言えば、NHKの大河ドラマで見る信長の舞しかなくて、物知らずで育ちました。その後、兵庫県社町の重要無形文化財の上鴨川住吉神社(神事舞)を二度見ましたが、舞楽とはまた随分と違うものなのでしょうね。詳しく知りたいものです。
あまり知らないのですが、神楽は元は神の前で神に捧げる舞でしたでしょう。
随分古いと思います。
神楽はSISI様がお詳しいですよね。
他にも古いものは多くありますね。
先日は春日大社で、和舞や大和舞を見て参りました。
https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/1d4e85264653583de3cca623b3316105
和舞や大和舞と事前(同一日)の講義は、年に一回ありますので、機会がありましたら、楽しんでくださいね。(千円です)
私が思うに、舞の始まりは、神との関わりが大きいのではないかと思うのです。
かみくらや先祖や(災害や雨乞いや飢餓に対する)自然に捧げもの(神饌)や感謝する神のような存在にをして、その場で気持ちを表して表情(舞など)を捧げたのが始まりではないかと思うのです。
一応『演者と芸能』や民俗学や芸能関係の本には漠然としたことが書かれているのですが、考古学と一緒で、推測の域を超えません。
したがって、私も想像して楽しんでいます。
舞であったり歌であったり酒であったり語りであったり、色々な方法で神に捧げものの一つとして、気持ちを表現したのがいつしか定着し、後に、人々村人が楽しみも込めて受け継がれていったように感じます。
歌舞伎の劇場の前にも櫓が建っていつとコリがあります。
(南座や歌舞伎座、屋根部正面の四角い囲いです)
ここには確か、半紙で舞た松も飾り付けられます。
この櫓は、神が降臨なさるところです。
舞台はこの櫓に向かって設置され、演者は櫓に向かって芝居や舞を演じます。
やまとなでしこあんさんがご存知の内容ばかりで、頼りないことで申し訳ございません。
今日も暑くなりそうです。
楽しいお時間をお過ごしください。
興味深く読ませていただきました。舞については、ほぼ知らないのです。
櫓も見に行ってみたいです。
今日は、神は全ての人に平等であるというお話を聞きました。ヒンズー教であっても、死ねば平等ということでそうだそうです。舞の前でも人は平等かもしれないですね。そういうことなら、舞いとは貴重なものだと思われます。孔子が楽を大切にしたと聞きます。そういう意味だったのかもしれませんね。楽を忘れた孔子の説を唱える形だけの政権が、長きを得なかったのかもしれません。インターネットや様々な化学石油製品で多様な生活のできる時代と紀元前の生活を比較できないとは思いますが、まだまだ分かっていない事の方が多いのだそうで、その部分への畏怖の気持ちなど、おろそかにせず、神聖な時を忘れないようにしたいなと思いました。ありがとうございました。
よろしければみてくださいませ。
https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3d40dd10627403f29d772ed44598bf68
私は今日は室内及び外回りの大掃除をしたのち、読書三昧でした。
髪の存在まではわかりませんが、最近、私にしては信心深くなっています。
身近なところではできるだけ謙虚な気持ちで、なおかつ楽しいとか充実できたという時間を少しでも多く感じ、過ごしたいと思います。
そんな人が多くなればなるほど、少しはいい方向に世の中も動いてくれるんじゃないかなって、あえて近視眼的に捉えるようにしています。
コメントをありがとうございました。
感謝申し上げます。