『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」 評定所(ひょうじょうしょ)とは
評定所の組織と機能
田沼意次の評定所出産
此の時代の暮らしが面白く書かれておた。
芝居や文芸といったものも、此の時代斧多くき取り上げられ、流行ったという。
芝居の『髪結新三』の初鰹売りのように、此の時代カツオ売りなども目立っていたという。
初物を好む、江戸時代の鯔背な部分が記され、面白く読ませていただいた。
評定所(ひょうじょうしょ) ブリタニカ国際大百科事典
幕府の最高司法裁決機関。鎌倉幕府では,嘉禄1 (1225) 年創設の評定衆の会議所をいい,執権や連署列席のもとに立法行政上の重要事項,特に民事訴訟を審理裁決した。
建長1 (49) 年その下で裁判の審理にあたるべきものとして引付衆 (ひきつけしゅう) がおかれた。室町幕府でもこれを踏襲した。
江戸幕府では,寛永 12 (1635) 年創設され,寺社,町,勘定の3奉行に相互関連する重要訴訟事項ならびに事情の錯雑して容易に裁決しがたい事項を裁判した。
この評議は式日といわれ,毎月2,11,21日に開かれ,3奉行のほか老中,目付 1人が列席した。
また支配違いの通常の訴訟評議は,立会日といわれ,3奉行および目付1人が列席した。
評定所(ひょうじょうしょ) 大辞泉
1 鎌倉幕府で、評定衆が事務を取り扱った役所。
2 江戸幕府の置いた最高の裁判機関。老中・大目付・目付・三奉行などが事件の重要度に従って列席し合議した所。
評定所(ひょうじょうしょ) 平凡社百科事典
(1)鎌倉・室町幕府の評定衆が合議をした場所。
(2)江戸幕府では1635年に設けられた最高の訴訟裁決機関。寺社奉行,町奉行,勘定奉行の3者と老中1名で構成。
のちに大目付,目付,側用人,側衆江戸出府中の所司代,遠国奉行なども参列することがあった。三奉行のうち二つにまたがる問題,大名・旗本からの訴訟,農民の越訴(おっそ)などを裁断。
→関連項目大岡忠相日記|御仕置例類集|御触書集成|山論|徳川家光|万石騒動|目安箱
評定所(ひょうじょうしょ) 大辞林 第三版
① 鎌倉時代、評定衆が評定を行なった役所。
② 江戸幕府における最高司法機関。寺社・町・勘定の三奉行がそれぞれ独自に裁断しえない案件が三者および老中一名によって合議された。
『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』
『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「鸚鵡楼中記」 芝居の『仮名手本忠臣蔵』とは異なる内容が「鸚鵡楼中記」には日記として書かれている。
『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「生類憐みの令と元禄政治」出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 生類憐みの令(五代将軍徳川綱吉)
『江戸時代の古文書を読む 元禄時代』「元禄時代の江戸みやげ」 『新版 古郷帰の江戸噺(こきょうがえりのえどばなし)』出典・仰出之留(国立公文書館内閣文庫所蔵) 綱吉の頃
『江戸時代の古文書を読む 享保時代』
享保という時代 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「八代将軍徳川吉宗と享保の改革」竹内誠、「享保の改革と江戸」竹内誠 農民の作物育成の邪魔もせず、民衆もかわらけで楽しませる。水に触れると溶けるというかわらけ。これなら、作物が育つ上で邪魔にはならない。
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』から「享保の渡来象始末記」太田尚宏 綱豊卿は後の家宣。家宣の孫(綱吉の子)としての紀伊からの頼宣が八代将軍徳川吉宗。吉宗は実学好きで、日頃海外にも目を向けており、象も輸入。
徳川 宗春(とくがわ むねはる) 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」(徳川林政史研究所監修 東京出版社)を読むにあたって、知っておきたいこと。
徳川宗春が鯔背で人気があり、歌舞伎『傾城夫恋桜』にもなった。 『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「徳川宗春の実像と治政 御庭番の職務などに関する史料を読む。」
『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』「御庭番の隠密活動」 深い雅海 元々御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報蒐集機関として設置された。
『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』
『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次と失脚」 田沼意次について
『江戸時代の古文書を読む 田沼時代』「田沼意次の出頭」 評定所(ひょうじょうしょ)とは
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます