乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『ザ・寺山』 『レミング-壁抜け男』 寺山修司 天井桟敷

2008-05-07 | TVで舞台

 

 『ザ・寺山』 『レミング-壁抜け男』

 

 今日は一体何をしていたのだろう・・・。

 買い物、料理、洗濯、掃除、草抜き・・・。

 寺山修司の天井桟敷演じる『ザ・寺山』 『レミング-壁抜け男』 も観た。

 合間の時間を見つけては本を楽しむ。

 

 今日観た二作品も面白かった。

 やはりテーマがはっきりとしており、観ていて違和感がない。

 特に『レミング-壁抜け男』 の方は、寺山独自の感覚的作品性を支軸に、東北のいくつかの民話的な部分と安部公房の『友達』や『壁』を乗せ、心理的医学的な側面を抽象的に利用して作られた秀作。

 

 最後、舞台も会場も真っ暗になる。

 当然のことながら、二分後くらいには

    『パッ!!!』

と会場或いは舞台にライトなり展開があって、作品は終了だと見ている方は考えてしまう。

 観客は帰らない。

 ぽつぽつと拍手がまだらに起こり始めながらも、まだ舞台に振り向き、何かを期待する客席のみんな・・・。

 まさにそれが寺山の狙いだった。

 観客が舞台を見終わった最終には、『レミング-壁抜け男』 という作品の壁に、自分を投じ込んでいたのだ。

 そして、例外に漏れず、テレビで見ていた、この私をも・・・。

 

   拍手!!

 

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『少林寺』  1982年 中国、香港

2008-05-06 | 映画

 

 記録だけ

 

    少林寺

 

 少林寺の形と迫力 ★★★★★ ★★★★★

 満足度 ★★★★★ ★★★★☆

 お勧め度 ★★★★★ ★★★☆☆

 

 1982年 中国、香港

 

 映画『少林寺』を見るのはこれで二度目。

 いずれのテレビ。

 不思議なことに家族全員が、この映画を見たことがあるという。

 みんなで見ていたのだろうか・・・。

 

 筋は至って簡単だが、少林寺の迫力と形の美しさは素晴らしく、見応えがある。

 今風のワイヤーアクションとは違い、動きその物が芸術的感覚。ワイヤーは船の上で、父の敵と戦うシーンのみに限られ、ここぞとばかりのワイヤー使いは盛り上がりをもたらせ、素晴らしい。

 

 いい役と悪役は 歌舞伎のごとく、人相と衣装で、一目で識別できる。

 鋭い中にも決めが入り、男らしく、まるで荒事のようでどきどきする。

 

 今時のように大人数を使うわけでもなく、敵軍などの数の多さは、『遠近法 手前にかがり火や馬や死人などを持ってきて、二重、三重の遠近法を工夫』と『効果音 馬の足音や砂の巻き上がりの音』によって表現。

 その昔風の工夫されたシンプルな潔い画面が、また魅力的に感じるのはどうしてだろうか・・・。

 

 ブルース・リーやジャッキー・チェンとは違う方向。少林寺本来の基本的な動きを堪能することのできるアクションで、中国文化の深さを感じさせる。

 

 映画には少林寺の中や、九龍石窟などの内外なども映しだされ、中国の歴史を物語る厚みのある演出。

 初めの父が殴られた囚人を助ける場面で、上と戦う時のこと。処刑された囚人のつり下げられた腹のあたりで 悪役がつかんだものは 赤い長き物・・・。一瞬どきっとしたが、実は赤くて細い帯ひもだった。或いは、僧が犬(明らかに、本物ではない)を食う非道徳場面や中国の食文化にも触れられ、結構小粋な笑いも交えた秀作といえよう。

 

 

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『日本の民話 東北(二)』  秋田・山形・福島

2008-05-05 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(写真・2008・4/2)

 

 記録だけ  2008年度 38冊目   

 

   『日本の民話 東北(二)』 

    秋田・山形・福島

                   

 編者 武田 正

 株 ぎょうせい

 昭和54年2月20日 第1版

 昭和59年4月10日 第5版

 314ページ 1500円+税

 

 本日、 『日本の民話 東北(二)』 を読了。

 これがまた時間がかかった。

 一度読んでも分からない話も多い。

 秋田の話『ぬか袋と米袋』などは、私にとっては難しすぎて、数回読んでも分からず、家族に助けをこう。なんだかんだで、どうにか分かった。良かった、良かった。

 

 秋田・山形・福島の民話もよく知っている物も多い。

 誰もが知っている民話の多さに、ただただ感心した。

 

 東北では、嫁話も好んで語られているようだ。

 福島はまだ行ったことはない。山形と秋田へは以前に行った。

 ああいった美しくもあり、冬は厳しい地形の中で、柔らかな方言と口調で、姑たちはこぞって嫁自慢や嫁いじめを言葉で発散したのであろうか。生活の厳しさなどの理由で 未婚の男性や家族が、嫁御へのあこがれを話として語り、今に伝えられたのだろうか・・・。

 他の地方はどうなのだろう・・・。

 民話は好きなのだが、いざこうして考えてみると、分からないことが多い。

 

 山形県西置郡飯豊町中津川の山口すえのさんの 『姥皮』は、ドイツ民話でよく見るパターンの童話が二つ くっついていた。

 このパターンの民話は、私はまだ読んだ数が少ないせいか、出会った事がない。

 あまりに珍しいので、題だけでも記録しておこう。

 こういった話が 他の地方にも分在するのであれば、日本の古い民話なのだろう。また、この話が単独している場合は、新しい時代に知識でくっつけられて創作された話なのかも知れない。

 想像は広がる。

 この件に関して、実際問題としては、知りたい。が、私はやりたいことが多すぎて、根気にかける。

 

 山形の『物語り』は、能楽師の口調で読み上げると、趣を感じる。

 ‘滑稽?!な中にも、礼儀くずさず!’ といった感覚が たまらなく魅力的な話。

 

 秋田の『長い話』は、喜界島に残る

「昔、蛇がいました。」

のパターンと同じ。

『ただ、そりだけ!  結び言葉

っといった感じで、後がない。

 喜界島のおばあさんの『してやったり!』の顔を思い出す。

 

 結び言葉とういと、この本の解説にも載せられていた。

 いくつかを書き記しておこう・・・。

 

『どっとはらい』

 青森~秋田北部

『とっぴんぱらりのぷう』

 秋田南部~山形

『とーびん』

『とーびん さんすけ さる ○なぐ、さるの ま○ぐに 毛が生えて、けんけん毛抜きで 抜いたれば、めんめん ○っこに なりました』

 山形(米沢地方)、一部最上川

『いちが栄え申した』

『ざっと昔はさけた』

 福島~新潟・宮城

 

など。馴染みの物から、珍しい物、また少し大人びた物まで在ることが分かった。

        

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『宮崎 よかとこ』  高千穂・日南・霧島  るるぶ’08

2008-05-05 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(写真は奈良です。2008.4/2)

 

 

記録だけ  2008年度 37冊目   

 

   『宮崎 よかとこ』 

   高千穂・日南・霧島  るるぶ’08

 

                   

 JTBパブリッシング

 2008年1月1日 発行

 121ページ 820円

 

 昨日 るるぶを楽しむ。

 この本を借りるときは恥ずかしかった。

 図書館員が、

「これっ~!」

と、にっこり笑っって指さす。

 指の方向を見ると、なんと ど真ん中に両手を広げてにこりとポーズしたそのまんま東 いや宮崎県知事が大きく載っているではないか・・・。一瞬、息を飲む私。

『これは知事ブームに乗った奴と思われているな・・・。』

などと、漠然と感じながらも、

「ホ・ン・ト・デスネ。」

とほほえみながら、返事。もしかしたら、外人のような口調だったかも知れないと、後で後悔。

 青臭い乱鳥・・・。

 

 今まではこういった雑誌は載せてなかったが、私にとって興味深い記事が記載されていたため、記録することにした。

 題して『高千穂観光・夜神楽 鑑賞してきました!』

『おもてさま 』や『ほしゃ 奉仕者』『こうにわ 神庭』『えりもの つり下げられた、彫り切られた和紙の飾り』などのお神楽の専門用語が説明されていて、知らないことばかり・・・。

 楽しかった。

 

 宮崎には二度だけ行ったことがある。いずれも中途半端だったが、楽しかった。

 一度は修学旅行で日南海岸に行った。あと、屋久島に行く途中、霧島に数時間寄っただけ。

 

 宮崎にお神楽があるとは、知らなかった。

 私は知らないことだらけだから、何をしていても楽しいのかも知れない。

 ここはひとまず、

      だははは はぁ~

               と、笑いでごまかす。

 

 

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『青森のせむし男』『毛皮のマリー』  寺山修司 作

2008-05-05 | TVで舞台

 

 (写真は、大神神社三輪神社の神事。2008.4/10)

 

 

 昨日、寺山修司の『青森のせむし男』『毛皮のマリー』を観た。

 もちろん、今はなき天井棧敷。テレビだが、

 「良かった、良かった、良かった。」

と呪文のように三度 唱えたい。

 

『青森のせむし男』は、なんだか懐かしさを感じる作品。

 アングラ的な感覚と、泥臭い部分の日本的感覚がマッチした秀作。

 青森の地形的感覚も見事に現わされており、

「あっぱれじゃ!」

と、扇をあげたい。

 

『青森のせむし男』『毛皮のマリー』ともにテーマがはっきりとしており、かなり楽しむことが可能。

 古くささが良い。今のカンカンとした小劇場の演劇作品に比べ、かえって斬新に感じるのは不思議なことだ。

 

 シアターTVも味なことをする。今月は寺山修司の作品を8本放映。太っ腹・・・。洒落た、良い企画だと感心。

 

 そういうとやはりこれもテレビだが、ごく最近では花組芝居やナイロン100℃の芝居が印象に残る。

 特に花組芝居の好きな私にとっては、もう嬉しくて嬉しくて仕方がないといった感じ。

 ガキじゃあるまいし、ここまで調子に乗って書かなくても良さそうな物だが・・・。そういうと芝居(TV)を全く記録していないと、不作法な言い訳。

 毎月 テレビで相当数の歌舞伎と芝居に明け暮れている私。書くのが面倒といった部分が大きい。記録は途絶える・・・。

 この際連休に・・・というわけで、今日は久々にカテゴリー『芝居(TV)』項目を更新してみた。

 最後まで、私の趣味にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

 心より感謝申しあげます。

 今日も皆様にとって、楽しい日でありますように・・・。

 

 

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『上海雑伎団』  上海雲日之木雑技芸術団

2008-05-04 | 舞台・芝居

 

(写真は杭州の龍門古鎮の子供たち。この小学校たち、何だか懐かしい感じがする。昔見た光景。)

 

 

  『上海雑伎団』  上海雲日之木雑技芸術団

 

 3月下旬、上海雑伎団を観た。

 雑伎団といえば上海も有名。上海には雑伎団が数団体(舞台)あるとのこと。期待は大きい。

 私は、上海雲日之木雑技芸術団 の演じる舞台を観た。

 いろいろな雑伎が、漫才のように一演技ずつ、一つ終わってはまた一つ と繰り広げられる。

 中国舞台では立体的空間を使い、単純な筋楽を追った中で 雑伎なども繰り広げられるといったパターンが多かったので、こういったシンプルな舞台は、基本的で上品にも感じた。しかし、雑伎が単純で、面白みはいまいち感じない。

 昔からの小規模なサーカスパターンを目で追った感じがする。

 

 驚いたのは二つ目の演技。

 大きな舞台に、綺麗な女の子の手品師一人・・・。

 結構地味な感じがして、拍手が少ない事が、客として申し訳なく感じる。

 今回のような大きな会場の舞台には、少し不向きかも知れない。

 

 会場みんなが、待ってました!のバイク5台演技は迫力物で、周りの人たちも 瞬きもせず食い付いて見入った。

 地球儀状の鉄の檻の中に上下左右に猛スピードで走ると、一台のバイクでも驚いてしまうが、バイクは合計五台。

 グルグル!どころではない。

 理解不可能な角度で、五台のバイクは規則正しく暴れまくった。

 ただし、雑伎見たさに行った私としては、多少違和感も感じる。

 

 写真は撮っても良かったのだが、やめた。

 臨席した身なりの良いフランス人らしき女性の 不思議なほどに素敵な香水の香り。

 このほのかな漂いは、香水を付けない私にも心地が良かった。

 あの香りは、なんて言う名前なのだろう・・・。

 聞いておけば良かったと、後悔。

 こんなに素敵な香りは初めて・・・。

 

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杭州で舞台を観た・・・西湖、少林寺など  

2008-05-03 | 舞台・芝居

 

 2008年3月某日、杭州で舞台を観た。

 1時間半の舞台は活気にあふれていた。

 舞台名は一体何だったろう・・・。

 旅行ツアーのオプションで、一人250元。

 おそらく180元前後だろうが、連れて行ってもらうと、結構高い。

   

 会場は中国人が多かった。

 拍手が画期的で、テーブルにはオレンジや緑色の 手形をしたカスタネットが置かれていた。

 このカスタネットを上下に動かして、歌舞伎ならば大向こうのかかるべき所をぱたぱたとならす。

 雑多な空間。五月蠅さがマッチした会場・・・。

 写真撮影はOKとのこと。しかしほとんど撮し忘れる。

 

 舞台の前にはせり上がり。

 その上には三人の伝統音楽奏者。

 美しく、音楽も至って上質。

 

 中国の美しい調べが終わると、いよいよ本番の舞台が始まるが、この少し大きめのせり上がりは、始終有効に使われていた。

 

 舞台の題名は忘れたが、内容ははっきりと覚えている。

 

 西湖由来から始まり、金属の時代の闘い、雑伎団、南宋時代(書道あり)、踊り、『チャイニーズ ロミオズ ツリー』、仏教(少林寺)、越劇とうい具合に何でもあり。

 舞台は立体的で、遠近感も考えられている。全体を通してよい舞台だ。

 ただ、こういった舞台演出は中国全般に観られるもので、中国の舞台を何度か観ている私としては、少々 マンネリ感をぬぐいきれない。昼間にやっている中国人向けの京劇が観たい。

 

 個人的には、金属の時代の闘いが京劇、或いは歌舞伎的な感覚で面白い。また、少林寺の決めも、がっちりと手応えあり。

 別段下心はないが、要するに、女性を観るよりも男性を観ている方が心地よいといった、健全な乱鳥である。

 

 

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『演出家の仕事』  栗山民也 著   岩波新書 新赤版

2008-05-03 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(著者の栗山民也氏が能楽に夢中だったとのことで、『天鼓』を選ぶ。)

 

 

記録だけ  2008年度 36冊目   

 

   『演出家の仕事』 

 

                   

 著者 栗山 民也

 岩波新書 新赤版 1105

 2007年11月20日 第1版

 221ページ 740円+税

 

 5月3日夜中、『演出家の仕事』を読了。

 久しぶりの岩波新書の新赤版は読みやすかった。

 内容も芝居に関する物で、とても興味深い。

 著者演出作品では、勘三郎丈と森光子出演の『寝坊な豆腐や(?)』位しか見ていないと思う。それもテレビ(歌舞チャン)。

 

 表現法や細やかなことにも触れられていたので、今後芝居を見るにあたって、今までとは違った部分に興味を持つかも知れない。

 

 明治から現代に至るまでで小鼓の第一人者とされていた人の鼓を打つレコードを録音したが、鼓奏者から、キャンセルされたとのこと。

 当時のレコードではジージーとノイズが入る。

 奏者は無の空間(間)ということが非常に大切といい、この企画は断られたとのこと。

 私は能楽はまだ30回くらいしか聴いてない能楽鑑賞の初心者だが、何となく分かるような気がする。

 

 感心したのはP.136からの「太陽劇団との出会い」の項目。

 休憩を含め、5時間にも及ぶ舞台。

 役者は舞台衣装のまま、観客にカレーの昼食を取らせるといった、インドを内外から感じさせる舞台だそうだ。

 これは、真実、新しいのだろうか。

 

 もう二十年以上も前になるだろうか。

 ポンピドゥセンターで見た、立体的現代美術を思い浮かべる。

 それは、欧州の飲み屋を音から臭いに至るまで再現されていた。

 それを同方向に発展させ、また終了前には観客とインドについて、リアリティに意見を交わすといった志は、演劇に於いては斬新とも言える。

 また、コメディなどの舞台の対話方式などを考えると、消して新しくはないとも感じる。

 

 だが、インドを総合的にとらえ演出されたことを思うと、見てみなければ分からない。

 要するに、この舞台が見てみたいと、無意識に感じたのに過ぎないのであろう・・・。

 

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全国ごほんろさんの旅 まずは岩手・・・で、化け猫に遭遇か?

2008-05-02 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

      ・・・って、化け猫ちゃいますから!!

 

   全国ごほんろさんの旅

     

 旅に出た。

 といっても、書物の上でのこと。

 旅行書やガイドブック、民話や関連作家などの本を頼りに、その土地と遊ぶ。

 これがまた、なかなか楽しい。

 家に居ながらにして、その地方の知らない事がいろいろと見えてくる。

 当然行って見たくもなるが、なかなか思うようにはいかない・・・ってな訳で、このような楽しみを見つけてしまった。

 

 とりあえずは、理由なしの岩手県から。

 いや、理由は自分なりにあるのかも知れない。

 

 ちょうど5,6年前にもなるだろうか。岩手に一度行った事がある。

 酒がうまい。やたら澄んだ味覚のマンボウと、ホヤの造りのニオイにおけるギャップが大きい。この感覚は、ある種、たまらなく惹きつけられる。

 

 ちょうどその頃、私はH・G・ウエルズに凝っていた。

 いつもの事ながら、馬鹿な私は 地底人やら何やらとはしゃぎ、岩手の地底湖に向かった。

 だが、ついたその日は運悪く水かさが増え、見ず終い。

 近くの住民と話していると、こんな事を聞かされた。

「地底湖に入れないのは、年に二度ほどで、いつもは入れるんだけどねぇ。(標準語に近い岩手弁)」

 ショックが大きい。

 

 次に期待していたのは浄土ヶ浜。

 観覧船に乗ることもでき上機嫌だった。

 ところが、波がきつく、上陸することはできなかった。 

 このようにして、待望の岩手2ポイントには見事にふられ、片思い。

 ここまでくると腹立たしいと言うよりも、肩の力が抜けてしまったといった方が近い。 

 上のような言うに足りない理由が内なるところに潜んでおり、岩手を選んだような気がする。

 

 さてさて、次はどこに行こうか・・・。

 彷徨う乱鳥。惑う乱鳥。

 そして、無駄という名の最高の時間を楽しむ。

 かくして、私のごほんろさんの旅は始まった。

 いつどこにたどり着くか分からない、気ままな旅。

 

     

 

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『木々高太郎全集 6』 朝日新聞社

2008-05-02 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 記録だけ  2008年度 35冊目   

 

   『木々高太郎全集 6』

 

                   

 著者 木々高太郎

 朝日新聞社 

 上下段・440ページ 980円

 昭和46年3月25日 第1版発行

 

 本日木々高太郎全集 6』 を読了。

 第6巻には次のような作品が載せられていた。

 

 随筆(1)「故郷とその中学」      

    (2)「私の出発」   

    (3)「パヴロフ先生をしのぶ」   

    (4)「私は最後の弟子だった」   

    (5)「ヒポクラテスの全集」    

    (6)「Logico-physiologicus」   

    (7)「秋空と真理」        

    (8)「匂いと条件反射」   

    (9)「百の仮説」         

    (10)「比喩と比論」   

    (11)「思想としての条件反射学」  

    (12)「身のうちの生物」   

    (13)「汎化と分化」        

    (14)「憧憬」   

    (15)「科学者と情熱」       

    (16)「投射と予備」   

    (17)「感覚と表現」        

    (18)「文学における実感について」   

    (19)「『明暗』について」     

    (20)「ドストイェフスキイの研究」   

    (21)「ドストエイェフスキイの癇癪描写」 

    (22)「劇作論」   

    (23)「日本詩の音律」       

    (24)「福士幸次郎とその作品」   

    (25)「江戸川乱歩論」       

    (26)「小栗虫太郎論」   

    (27)「探偵小説二年生」      

    (28)「いよいよ甲賀三郎氏に論戦」   

    (29)「探偵小説におけるフェーアについて」 

    (30)「批評の標準」   

    (31)「『人生の阿呆』自序」    

    (32)「新泉録(A)」   

    (33)「探偵小説の評論について」  

    (34)「新泉録(B)」   

    (35)「推理小説の範囲」      

    (36)「探偵小説の地位の向上」   

    (37)「探偵小説の本質」

 詩  (1)「渋面」

    (2)「月光と峨」

遺稿詩篇・絶筆   

    (1)遺稿詩篇           

    (2)絶筆

戯曲 (1)「上品下品」

初期作品(1)「家出」

作品解説 須田勇

       中島河太郎

       金子光晴 

木々高太郎年譜

 

 木々高太郎全集の6巻目では随筆が群を抜いて興味深かった。

 とりあえずは全集は読み切ることができた。

 私の場合は、おそらく彼の作品の中では『網膜脈視症』の次に随筆が好きだというのも、皮肉なものである。

 彼の言っていることは、結構うなずけることも多い。

 また医学的な知らない部分もこの本によって知り得た事は、余得ともいうべきか・・・。

 根っからの学者肌の物の考え方は作家としては魅力的で、作風は別として、安部公房氏と同方向に感じ、とても好きだった。

 次は2、3冊なりと、 林髞(木々高太郎)氏の方を読んでみようかとも思う。

 

 6巻目には詩がのせられていた。

 私はたまたま読み残し部分を、JRの中で読んでいたからたまらない。

 気恥ずかしい詩が綴られ、他人に見られればどうした物かと、気が気でなかった。

 中には好きな物もあった。

 しかし木々高太郎氏がこのような一面も持っていたのかと思うと、なんだか楽しい。

 この木々氏が、随筆の中で書いていたように、詩人 萩原朔太郎も好きなのかと思うと、不思議な感じがする。

 多分こういった二面性を持つ男性というのは、地位や名誉などに関係なく、女性に好感をもたれるのではないだろうか・・・。

 ただ、彼の年上の女性に対する執着と理想像の壁は事の他厚く、興味の無い女性を簡単には受け付けないにおいを感じ、そこが魅力とも思えるのである。

  

 彼の作品などを読んで、ドストエフスキーの作品も、以前読んだ物も含めて、しっかりと読みたくなった。

 彼は好きな物に対しては とことん力説するので、多少なりとも影響を受け、こちらの興味の範囲が広がるところが好ましい。

 そういった、厚みのある人物のように感じさせる木々高太郎全集であった。

 

 

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