「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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ショート先からの電話

2005-11-05 | ●介護録(~2015.2月)
7日からのショートのお迎え時間などの連絡が来たいつも通りの打ち合わせと、最近の母の状態について話した後、
「○○子(母)さんに来ていただくと、楽しくオシャベリ出来て、周り方のお世話なども率先してやっていただけて…」と思いっきりお褒めにあずかった

確かに母は、利用者の中では若手だし、体も元気で世話好き、コミュニケ-ション能力も落ちてないので、↑のような側面はあると思う。

でも、私は知っている……何を?って、「健常者が明るく話し好きで世話好きで気がつくのとは違う」ってこと
手助けにもなるけど、やはり気をつけて見てなきゃならない。ある意味、じっとしてくれる利用者のほうが楽かもしれないし…。

でも、彼らはプロだから、そんなことは十分承知で、預けている家族への配慮も込めて、母の良い点として伝えてくれてたと思う。

その電話のあと、ついつい、あの病院のデイケアをおもいだしちやった。
「○○さんの場合、手持ちぶさたになると部屋を出て行こうとするのでスタッフが一人つかなきゃならないんですよね~~~」と電話してきた看護師。
「フーン、で、どうしろっていうのよ!!!」…とはさすがに切り返せなかった。

エライ違いだな。
薬を飲んで1日デイで過ごせるようになったのも、成果の現れだと言われたよ。いまだに納得してない。何が成果なのか。
デイケアとの最後の電話は半分ケンカ腰になっちゃったけど、後悔はしてない。

夕食時のあれこれ

2005-11-05 | ●介護録(~2015.2月)
まず、四時だろが五時だろうが薄暗くなると「夕飯の支度だ」と母は思う。すると、「ご飯たくの?何合?オカズは?」と繰り返される。炊飯器を開けたり閉めたり、冷蔵庫を覗いたり…落ち着きナシ。

私が台所に立つと母も「何かしなくては」と思うようだ。段取り上、すぐに母の役目がない場合、母は食器をテーブルに並べ出すか食器棚の引き出し整理(ただ出して片付けるだけ)をする。
一番よいのは「大根切って」とか「これを炒めて」と何かして貰うことなんだけど、何しろ毎日のことだし、母中心に全てを回すというのも限度がある。

それで私は何人分も出された湯飲みや箸を何回も片付けることになる。以前はいちいち母に文句を言ってたけど、今は黙って片付ける。でもまた出されるんだけど…。今は、テーブルに不必要な食器があるのは許せないのでいちいち片付ける。これがメンドーになったら出し放しにしておくつもり。

これを止めるには、食器を出すヒマがないくらい用事を頼むのがいい。でも、そんなに母にまかせられるコトってない。炒めて、って言えばずっーと炒め続けちゃうわけだし。

もう一つの方法は、不用な食器を処分すること。なければ出せないものね。
それはそれでいいかもな~食器棚も処分してもっと小さな収納にすればいいし、たくさんのお客さんが来るでもなし、いらない食器は多いはず。
問題は、「○○がない」とか「(食器棚を替えた場合)この食器棚はうちのではない」なんてことになるかも、ということだけ。でも、これが大きい問題。いつかは慣れるかもしれないけど……。