「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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仏壇がキライ

2008-07-29 | ▼ユルユル日常
私は仏壇がキライ。お位牌にも何も感じない。リンも鳴らしたくない。

父が亡くなって、すぐに町内会長に電話した。家に戻るとすでに坊さんも到着し、なにもかもが形通りに進んでいた。
当時はそんなもの…くらいしか思ってなかったけど、都会では密葬が多くなっていたり、檀家に入らない人もいるのだと後になって知り、我が家もそんな風ならよかったのにと思う。

信仰心もないのに、なぜ仏壇にしばられるのだろう。
オーラの泉的な話はキライではないけど、なぜか仏壇に手を合わせることに違和感があり、お位牌なんてただの木…と思う。
(一度、お位牌がバラバラになったことがある。仏壇屋に持っていったら、ものの2分程度で、カンカンカンと組み直して出来上がり。マジに「ただの木」とおもった)

そんな私は、ネットで「現代仏壇」というのを見てから、せめて仏壇らしくない、居間にも置けるコンパクトなものに替えたいな~と思っていた。
しかし、地元の仏壇屋で、「コンパクトで新しいタイプのものはないですか?」と聞くと「そんなの邪道だ」と一喝。

その現代仏壇のお店が今年の5月に帯広にもオープンした。
買い換えなので予算は少なめ…となると限られる。
候補はこんなの。コンパクト。
箱形のは巾30センチ程度。オープンタイプはガラス部分が巾60センチあるのがちよっと……(住職が、ご本尊や先祖の位牌を必ず祀るようにという考えの場合、「屋根なし」は×らしい)

「仏様になった人を思う心こそが大切」ならば、外観にこだわることはなくユニットボックスの上に写真と花だけだって構わないわけで……
ただ、なんとなく世の慣習もあり、あまり粗末な感じだと故人に申しわけないかな?というのと、坊さんの手前、一応、こんなのに買い換えたいなと思う。


以前、友人に「仏壇に手を合わせる気がしない」と話すと「それは死を受け入れてないから?」と聞かれた。
余命宣告もされ、親は先に逝くという気持ちもあり、父親っ子でもなかったので気持ちの整理は出来ていた。ただなんとなく仏壇に違和感があるだけだったけど、友人にはピンとこなかったみたい。

また、別の友人ともこの類の話になって、彼女も信仰心など特にないけど「リンを鳴らし簡単に手を合わせるよ~」と聞かされて、

なぜ自分はこんなに仏壇とそれにまつわるモロモロがキライなのか…と考えた

すると、思い当たることが一つ。
父方の祖母。
私の記憶がそこに繋がった。

明日につづく(引っ張る(*^m^*) )