「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
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アナタの介護はムダ?

2009-06-23 | ●介護録(~2015.2月)
何度も書いてるけれど、ビゴ母は、一般的には重度になってから現れる「家族がわからない」という症状が初期からあった。

最初は、痴呆(まだ認知症とはいってなかった)だなんて思ってもいない時だったから、「これってなに?」という感じ
その時は、痴呆といえば「ボヤンとして、いろんなことが出来ない状態」をイメージしていて、母は、何でも出来たし、買い物にも行けたし、コミュニケーションも何の問題もなかったから。

さらに徘徊も初期から出たので、介護サービスを受けはじめると、専門職の人達が施設を勧めることが多かった。

ケアマネが、職務としていろんな選択肢を提示するのは当たり前。
介護福祉士が、経験などからこうすればいい…というのも………当たり前…なのか?……?

その頃、私はまだ母を施設に預ける気にはなれなかった。
失業していたことやシングルであることも理由の一つ。

その時の私の本音を言えば…「みんな私の敵?誰も分かってくれない」

味方がいなかった。

「どこか預けるところないの?」
「施設に入れたのか?」

在宅介護していることがまるで悪いことのように……………
なぜ、一人くらい、気持を分かってくれる人がいなかったのだろう

徘徊していたから?
娘のことを妹を思ってしまうような母だから?
一人で介護していたから?

でも、逆に、この段階で施設に入れていたら「まだ家で暮らせるんじゃないの」なんて言われたのかもネ。


以前は、デイのない日にヘルパーを利用していたので、その統括者である介護福祉士がたまに様子を見にやってきた。
その人はσ(・_・)に何度か言った。

「申し訳ないけど、K子さん(母)は、ビゴさんが介護していてもそのことをちゃんと理解しない状況もあるのだし、施設を利用して、ビゴさんはビゴさんの生活を…」というようなことを。

そうですね…と相づちしながら聞いていたけど、実はかなり傷ついていた。
「アナタが介護していてもワカラナイ」という言い方って、とてもデリケートな話じゃないでしようか。
たとえ介護福祉士という立場でも、「申し訳ないけど」とついていても、簡単に言っていいことなの?

仮に、σ(・_・)が「もう介護出来ません。でも、最後の決心がつかない」といったのなら、背中を押す意味で、そういうことを言うのはアリだと思うけど。

被害妄想チックかな?

だけど…

末期ガンの家族を一生懸命看護している家族に
「どうせ治らないんだから、そんなにガンバッて介護してもムダよ。亡くなった後の生活も今から考えて、看護はほどほどにね」
なんて言う人、常識から考えていないはず。

「申し訳ないけど」がついていたけど、σ(・_・)にしてみると、アナタの介護はムダだ…と言われたようなものだし、どうせ認知症なんだら何もワカラナイでしょ…と、専門職の人が、そう言ったようなもの。

ガンと認知症は別…と、言われたら、確かにね。
介護には期限がないから。

でもさ……

ガンは、せつなくカワイソウな病気だから、最期の時まで真心を尽くすものだけど
認知症は、どうしようもない老いで頭がヘンなんだから、もういいんじゃないの?ってこと?
介護しているσ(・_・)がそう思って、脱在宅介護するのはいいけども
やっぱり、他人が言うことではないと思う

この複雑な気持ちなんて、あの介護福祉士にはワカラナイ。
自分の親は元気で介護の経験はない人だから。

一般論を言う
マニュアルチックなことを言う
……とσ(・_・)は感じてしまった

自分の親が元気でそれなりにシッカリ生きていたら、親は親、子供は子供…という感覚が強い。
自分もそうだった。
つかず離れずの関係で、お互い自立して生きていく。理想的だ。
だから、その延長線上で介護も考えているのだと思う。

その介護福祉士は最後に
「まあ、K子さんがどうにかなってから、仕事をさがしてもいいけど」と言った。

どうにか…というのは、死んだら…って意味?それとも施設に入ったら…っていう意味?
どっちでもいいけど、これもまた、なんか失礼な言い方だな。

いろんな人が言う。
どこにいってもすぐになじみ、明るい認知症の母は、どこのスタッフともうまくやるし、なんの心配もなく、ショートにも送り出せるし、GHでも特養でも気楽に預けられるでしょ…って。

確かに…気楽。

ビゴ母の記憶のどこかに、ビゴは幼い子供としてたまに登場し、その子供が目の前にいなくても特に混乱したりせずに、その場その場で楽しく過ごします。

名前を呼んでいても娘と思っているかは不明だし、抱きついてきてもσ(・_・)を「先生」と呼んでいたりする。

この間なんて、ショートから帰ってきた時に、σ(・_・)のこと「不審者」を見るような目で見てました。
送ってきたスタッフについて戻りたかったみたい。

気楽でしょ、これならいくらでも長期ショート出来るし、明日からGHに行ったて、ずっと前からそこにいる人みたいになじむんじゃないのかな。

今、母を捨てても、なんの問題もない。きっと。
ここから逃げて、知らないフリしても、母は寂しがったりしない。
大切な人は、母の記憶のとごか奥の方に、昔の形で生きているんだろうから。

認知症の親が、いろんなことが出来なかったりわからなくなっても、子供のことはしっかり理解している場合は、介護している子供のほうは、逆にそれを重いと感じるのだろうと思う。
分かっているから、無視できない。
後ろ髪が引かれる。
罪悪感を感じる

その気持ち、とてもよく分かる

でも、σ(・_・)みたいのも苦しいヨ。

だってσ(・_・)は怖いもの
GHにいれたら、すぐに完全に忘れられるって思うから。

忘れられて、無視されて、「アナタ誰?」って言われて、いらない人だと言われて
でも、母が生きている限り、介護は終わらない

だから、そんなに簡単に
「ビゴ母さんは、わからないのだから………」なんて言わないでほしい。
専門職なんだから。
マニュアルでいっぱいの頭は良くないヨ