「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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福祉とはなんぞや?みたいな気分になった話。

2012-07-10 | ●介護録(~2015.2月)
多分、それは10年前…それとももっと前だろうか、はっきりした年はきかなかったけど
介護保険導入前のことだと思う。

施設入居の認知症のお婆さん
人形をいつも抱いていた。
可愛がっていた。
でも、このお婆さんは感情の表出が乏しく
介護に関わる人たちにとって、いかに喜怒哀楽を表出させるかが課題だった。

専門知識を有するモノとしては当然なのかもしれない。
社会福祉概論に始まって、ケースワークの技術云々
児童福祉だ、地域福祉だ、老人福祉だ、はたまた心理学だのなんだのと
理論武装。(福祉学科にいたのでなんとなくわかる。私がいた頃は介護云々という概念も認知症という言葉もなかったけど)
それを否定しようなんて思わない
いかによりよい福祉を実践するか…みたいな時には理論武装も必要だったりすると思う。

で、感情表出のない入居者(思えば昔は入居者じゃなく施設収容者、収容人数と言ってた様な気が…)
とどう向き合うかって時に
スタッフたちの感覚はどこかで狂ってしまったのか……


ある日彼らは
そのお婆さんから人形を取り上げ
首を引き抜いてぽーんと放り投げた。

お婆さんはれそを見て泣いた。

そして……

そのお婆さんを囲んでいた複数のスタッフは
「泣いた、泣いた」と手を叩いて喜んだ


これは実際にあった話。

「泣いた」ことで感情表出が成されたと解釈して彼らは喜んだ
課題の達成か?

何かが間違っている。
でも、彼らは気づけない。

この話を私にしてくれた人は
この時、拍手していた数人から「泣いたヨ泣いたヨ~~見て~見て~」と呼ばれた。
思わず「なにやってるの!」と怒鳴ったその人はしばらくしてこの施設をやめた。

拍手をしていた人たちは今もそこにいて介護に従事している。
彼らのスキルは高いことを私も知っている。
お世話になった事もあるから。
ただ、「?」という経験もした。
そのわけが、↑の話を聞いて少しわかった。
介護保険前、措置の時代から福祉に関わってきたいわば老舗
経験豊かであるだけにスキルはみんな高いけど
「人」よりも「結果」優先?
○○なアプローチをした結果、××という結果が得られた
……みたいなことを追い求めることが一番になってるのかも…と。

まっ、家族介護者は
いちいち理論なんて学ばないし
○○するためにはどう対応すればよいか?なんて考えない。
課題がどうの、目標がどうのなんてことはどうだってよいのだ
ケアプランにはそういうこと書かれているけどね。

私たちは
こっちが少しでも楽に介護するためにどうすればよいか…という視点で考えてる
それはそれでもヨイのだと思う。
仮に喜怒哀楽の表出が少なかったとしても
どうすればそれを引き出すことが出来るかなんてあえてクローズアップしない
無理矢理引きだそうとして「泣かせる」ようなこともまずしないだろう。
泣かれたらその後困るのは自分だし
いくら認知症の親だって泣かせるなんてかわいそう。
感情の表出が少ないならないで、それでいいよ。
人形を抱いて可愛がっているのなら、その人はそれで十分心穏やかに生きている。
もうね、ソフトランディングしてくれるのが一番の高齢者に
何をのぞむんだって話。
そこはどんな障がいを持っていても「発達」する子供とは違う部分。

ホント、もういいんだ。

心穏やかに終われればそれでいい。