「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「何事もゆっくり」…か

2012-07-20 | ●介護録(~2015.2月)

kaigo

どうしても、一回で、力を入れて引き上げて立たせようとする。
言葉でいってもなかなか通じないという感じがあるから。

一回ではサクッといかなくて、二回、三回と繰り返し引き上げる
何回目かで無事終了。
その何度目かで、とても軽く、ヒョイと立ち上がる事がある。
そんなとき私は勝手に
「今、立つ気になったのか」とおもってた

でも、単純にそういうことじゃなかったかの…と、今更気づく。

なぜかというと

今朝の迎えスタッフが
母の両手を取って立たせながら
「ゆっくりやると立ってくれるんですよね」と一言。
そして確かに
ゆっくり、ゆっくり時間をかけると
母は自主的に立ち上がった。

最近は、なかなかこちらの意図が通じないから
力で引き上げて立たせたり、車椅子移乗させる人が多い中
今日のスタッフさんは力で引き上げることはなかった。

うちの玄関は高さがあるので、セシールで買った玄関用の…何て言うんだ?
踏み台というか…そんなものを置いていて、そこから一段下りて外へ…という感じになる。
その段を降りるときもスタッフは時間をかけていた。
(初めてのスタッフではないんだけど、今日、しみじみ、それに気づいた私(^^ゞ)
その人の認識は
「分かっているけどすぐに体が反応しない」という感じ。
時間をかけるといってもわずかなもの。
そして、確かに、母はゆっくりと段を下りた。
分かるけど体が反応しないのか、段差がコワイのか?…は不明。

私は……
毎回、「ゆっくりゆっくり」を耐えられるか、自信はない。
でも
力を入れて立たせようとガンバルよりは
ゆっくりやって自主的に立ってくれたら体力的には楽。

今日はゆっくりやってみようかな。