「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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医学や介護用語にひいちゃう時がある

2012-07-12 | ●介護録(~2015.2月)
「人」に対して使うわりには「愛」がない
なーんて… 別に愛がなくてもいいんだ
仕事、仕事。 緊迫した状況で愛だの情だのいってられないよね~

以前、認知症は痴呆と言い、さらに前は単純にボケといった。
母が認定うけたのは認知症と言うようになる少し前
別に痴呆でもいいけど…ってその時の私は思っていた。
 
「痴呆」には何も感じなかった私だけど 「徘徊」はピンとこなかった
この言葉は、フラフラと「ここはどこ?私は誰?」的に見るからにオカシイ感じで
トシヨリが歩き回る感じがする
でも、実際の徘徊はちょっと違うな~~と思う。

紙パンツを脱ごうとしたり、ベンベンを触るのを「不潔行為」と言う。
  さらに、排泄に失敗してバンツやらなにやら汚すと「○○が汚染したので」と言う
初めて「汚染」と言われた時は、何の話と思った。
日常生活、服を汚したことを「汚染」とは言われないものね
汚染……公害みたい

 高齢者が発熱などで寝込んだら筋肉の萎縮や関節の拘縮が起こり歩行困難になりやすい。
このことを医学用語では「廃用」と言う。
なんかもう機械油の臭いがしてきそう

まっ、それはそれとして…

「婦人公論」で和田秀樹さんが脳の話をしていてその中でこの「廃用」ってのが出てきた。
ウツなどで体を動かさなくなるだけでも身体的な「廃用」が起きやすくなる。
母が、特に脚をどうにかしたわけでもなく、年齢的にもそれほど筋力が落ちることもないだろうに
歩行能力が下がってしまった時に
内科の主治医が「社会生活をおくっていないとどうしても…」 といっていたのは
この「廃用」なんだろうな。

「脳」の機能にも同じ事がいえると和田さんが言っている。
前頭葉が活発に機能していればいいけれども、使わなくなると思考能力が低下して
頑固になる、突発的なことに対処出来ない、気持ちの切り替えがしにくいといった
精神の老化(感情の老化)が起きてくるのだそうで…。
脳が萎縮する(萎縮だけではないようだけど)認知症だと 当然、前頭葉の機能は落ちるわけで
 精神だけでなく身体の「廃用」ってのもおきるんだろな。

 ケアマネさんも言うんだけど、 うちの母の場合
単純に筋力低下のせいなのか、それとも歩く気がないのか、脳から指令がいかないのか ワカラナイ。
麻痺や硬直はない。
 力はしっかり入る、だからよくワカラナイ。
動きたくない時は根っこが生えたみたいに力いれる。
それだれ力入るなら歩けるんじゃねーの?って思う。
けど、とにかく歩かない。
立とうともしないこの頃。
「廃用」ってことだとしても、なんだかよくワカラナイ。
力が入ることと歩行は別もの?

一時、ベットサイドに座らせてもすぐに後ろに倒れようとしていた母だけど
最近はしっかり背筋を伸ばして座るようになった。
あのダラダラ体はなんだったのだろう?

昨日、車椅子移乗の時に 「それっ!」とかけ声掛けられた
……………声はいいから、その分自分で少しはやる気になってよ