功罪…なんて大げさな単語を使ってしまいました
「おしどり夫妻の老老介護」
「画家でもあるタレントの絵日記介護」
清水由貴子さんの自殺もあり、テレビでよく見るようになりました
何人かの介護者さんのブログでも、触れていました
こういう現象……果たして、どうなんだ?
私たちが、ここで「認知症は…」と何百回書き込むより
芸能人がテレビで1回語るだけで多くのインパクトを世間に与える
そういう立場の人には「伝える義務」もあるだろうと思う
だから語ることを否定はしない
ただ、それが
美談とか、夫婦愛の物語とか、明るい介護だの、笑って介護だの
そういうところだけに焦点を当てられては困る
ノウハウとして、「こう考えるとすこしは明るく介護できる」とか
「介護生活の中にも、こんな笑える一幕もある」とか
それはそれでいいけれど
背後には、その何倍もの涙、怒り、苦しみ、悲しみ、憤り、切なさが
それこそ、人一人を自殺に追い込むほどにあるということをちゃんと伝えてほしい
「今、明るく語れるアナタにも、苦しくて死にそうになっていた時期があるはず」で
今まさに、そこにいる介護者にとって
明るくだの笑ってだの、そんなものは、その人たちを追いつめる「毒」でしかない
箸袋一つで介護が変わるなんて…介護者の何人が納得する?
それはね、介護を何年か続けて、個人がたどり着いた一つの形でしかない
ビゴ母は介護認定を受けた時、すでに「娘を認識しない瞬間」を持っていた
認知症としては初期で、いろんな能力は保ちながら
一般的はに重度になってから出るという「家族がわからない症状」が出ていたのだ
そんなことはどんな本にも書いてなかった
そして私は、去年やっと、母のことを抵抗なく、心も痛まず名前で呼べるようになった
母を「おかあさん」と呼んでも、「お母さんって私のこと?」みたいな反応をされる時
「K子さん」と呼び直す
それが出来るまで、4、5年の時間が必要だったのだ
身内の介護はそういうものだ
それを、いとも簡単に、心の持ちようですぐにでも
明るく楽しく、上手な介護できるみたいな宣伝はしないでほしい
愛情のある限り
献身的で感動あふれる介護が出来るなんて映像ばかり流さないで欲しい
いい話、感動、美しい夫婦愛
それを見て介護者は救われるの?
介護の現場は救われるの?
少なくとも私は感動しない、共感も覚えない
テレビも本も、タレントが関わればそれはエンターティメントだから
キツイ、苦しい、汚い、救いのない話ばかりじゃ商売にならないもんね
だったら、商売にしないでほしいんだけど
今更何も期待しない
NHKの特番でさえ、肩すかしのモノが多いし
シミジミ感じ入る人もいるのだから、私がひねくれているのかしら?
わけ知り顔のコメンテーターがああだこうだと語るのも
なんだかピンとこないこともあるし
なんだろうな~~この感覚のズレ
ビゴさんのコメント、プリントしておきたいくらい。
私も自分がひねくれてるのかしら。と思う今日この頃。
テレビは視聴率かせぎだし、タレントは介護本を売りたいだけ。
ダメ!ダメ!もうそんな番組観ないことだね。
救われた事なんてありましたか~?
ない!100%ないッス!
むかついたり、イライラしたり、やめてよ~と唸ったり、ケッ!とおもうこと99%!
残り1%は、この人も介護してたんだ~という感覚と、フムフム、そういう問題行動があったのね…と、冷静に聞いてる部分。
タレントが悪いのか、番組の作り方が悪いのか分からないけど、もう少しなんとかならないのか…って思いますね~~
『ケッ』と思いますもんね~だ・・・。
また、URLの残し方、わかんなくなったぞい。
あちこちブログ見てると、介護者でも「感動的」とか、肯定的な事を言ってる人もいるんですよね。
一度そういう方の生の声の聞いてみたいデス
どういう部分が肯定的に受け取れるのか?
URLの残し方は…
URLの欄にブログのアドレスを入力!
その横の※名前と~のボックスにチエックしておけば2度目からラクなんじゃないでしょうか?
「幸せを感じられる介護」ですか………。
日々の細かいことで、例えば、体が不自由でも認知症でも生きていてくれてよかったと思うこともあるだろうし、笑えることもあるけれど、
だからといって、介護に幸せをみいだすことは難しですよね。
介護はそんな甘いものではないですよね。
この先、20年、介護が続くかしれない…と思うとちよっとコワイです。