いま、ダイニングテーブルにいます。
向かいの席では
中学生の息子が夏やすみの宿題をしています。
ノートパソコンを開け
『ねがい』というテーマで作文を書いています。
わたしも
「ねがい」で書いてみよう。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥
大人になると
「ねがい」は、ひとつではありません。
歳を重ね、大切なひとが増えると
自分だけのことを願うことが少なくなってきます。
しかし、ここではあえて
自分だけの願いのことを。
よく、こんなふうに思います。
17才だった頃の自分が、
わたしとは別に、今もどこかに生きているような気がするのです。
姿は見つけられないけれど、
意識や残像は残ってるような気がするのです。
あの頃すごしたいくつもの場所に。
17才は、わたしのターニングポイントでした。
人生で最も濃かった1年でした。
17才のわたしが願ったことを
大人のわたしが叶えて生きていく
そんな感覚が確かにあり、今もその過程です。
ああ、何も成し遂げていないな。
そんなふうに思います。
でも、少し違った目線で見れば
あの頃の願いとは少しちがった形で
実現していることも少しはあります。
何も叶えられていないと思っていたけれど
100%の理想を手放してみれば
小さく叶っていることが、探せばいくつか出てきます。
どれも、ビッグな願いでもなく
ささやかなものばかりだけど。
17才の自分、元気ですか。
これからも叶えていくつもりですよ。
あれからだいぶ時間が経ったけれど、
ゆっくりだけど確実に行きたかった場所に向かってるから
方角はまちがっていないと思うから遅くなるけど待っててなー。
向かいの席の息子の
「ねがい」の作文が書き上がったようです。
ママのも読む?と聞いたら
「いや、別にいいわ」と
案の定、即お断りされました。笑
写真は、平安神宮の風鈴です。
海月のような、透明な丸い風鈴。
いくつもの願いが風に揺れて
澄んだ音を立てました。
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