35年間会っていない友達と、会えることになった。
小学6年生の頃、いちばん仲良かった女の子。
彼女の家でよく「夕焼けニャンニャン」をみて
おニャン子クラブになりきって遊んでた
1985年、12才。
ドラマ「サーティーンボーイ」、
「毎度おさわがせします」
「ハーフポテトな俺たち」
なんかをみてた
レベッカのフレンズはこの年のヒット曲。
(ハーフポテトな俺たちの主題歌だったような気がする)
冬の放課後、彼女の家のコタツで
12歳の悩み事なんかも話したりしてた。
中学を卒業してからずっと会ってない。
卒業式には、またいつでも会えると思っていたけれど、
いつもまにか連絡先もわからなくなって。
わたしは18歳で京都を離れたのもあって
地元のともだちとほとんど縁がなくなってしまった。
SNSでも、女の子は結婚して苗字が変わったらもう探せないものね。
たまーに思い出してた。
そしてもう二度と会えないし、探せないんだよなーと、あきらめてた。
だからレベッカのフレンズを聴くと、12歳の頃を思い出して少し切ない。
が、去年。2023年。
バンドで対バンしたバンドのベーシストが、中学の同級生だった。
それがきっかけで、彼女の連絡先を知ることができた。
35年も会っていなかったら、何を言っていいかわからない。
それこそフレンズの歌詞のように
「他人よりも遠く見えて」かもしれない。
でも、思いきってメッセージを送った。
ごはんでも、ということになった。
LINEでやりとりしてるなかで
うれしいことがあった。
「お店、どこにいこうか」と送ったら
「恵の行きやすいところで大丈夫」
と返ってきた。
わたしのことを「恵」と呼ぶおんな友達は
小学生の頃からのともだち数人だけしかいない。
(全員疎遠になってる)
だから恵って呼ばれて、懐かしかったし
そう呼んでいたことを、ともだちは覚えてるんだってことがうれしかった。
もう会えないのだろうなと思っていた頃
もしまた会えるなら言いたかったことがあった。
ありがとうと言いたかった。
小学生のころ
親に言えない悲しい気持ちがあった。
言っても、スルーされることが予想がつくから言わなかった。
でも12歳の頃、
彼女の家のコタツにあたっていたとき
彼女が、自分の悩みをさらっと短く話した。
だから、わたしもものすごく短く話した。
ほんまいやになるな、ってふたりで笑った。
そのあと普通に、コタツで夕焼けニャンニャンを見て
自分たちの名前でおニャン子クラブの会員証を作ったりしてた。
コタツでテレビをみたり
田んぼでカエルを捕まえたり
大黒天でおみくじをひいたり
ともだちとのそんな日々が、
いろいろあった当時の自分にとって
すごく楽しくて心安らぐ時間だった。
昔のこと、すごくよく覚えているタイプではないと思うけど
そのことは、ふしぎとはっきり覚えてる。
明日、会ったらありがとうって言ってみよう。
わーそんな細かいこと覚えててキモチワルイわーって言われるかもだけど。笑
地元の写真
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