ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝の興奮、そして余韻は、当分収まりそうもない。韓国との因縁の対決、誤審問題、失点率0.01差の奇跡の準決勝進出などのドラマティックな要素が数多くあった上、素晴らしいアクターが、胸のすくような活躍をしたのだから、盛り上がったのは当然かもしれない。
その主役は、間違いなくイチローだった。
卓越したリーダーシップ、決意を込めて熱く語る姿、口惜しさや喜びをストレートに表現する姿、そして活躍。観戦していた多くの人は、イチローと同時代に生きる喜びを感じ、日本が生んだ本物のヒーローとして、誇らしい気分を共有していたはずだ。メジャーリーグでも、歴史を塗り替える活躍だけでなく、3年連続でオールスターゲームのファン投票トップという快挙を果たしている。アメリカで活躍する日本人の中でも、ここまでのスーパースターはジャンルを超えてこれまで存在しなかった。
私は彼を見たくて、オリックス時代から何度か球場に足を運んだが、どんな時にも球場の空気を支配するオーラを放っていた。極端に言えば、球場にいる人のかなりの人々は、試合ではなく、彼を観に行っていたようにさえ思えた。彼のサービス精神も際立っていて、例えば、イニングの合間のキャッチボールでも、センターを経由してライトのイチローに戻ってきたボールを、わざわざ、ポール際まで下がってからレフトまでストライク送球を繰り返したりしたりしていた。
ビルマの民主化運動指導者であるアウンサンスーチー氏が一時的に軟禁を解除された1996年3月、彼女の家の前で実施された対話集会に何度も通ったことがある。彼女のオーラも、やはり参加者との「共同作業」で生み出されているのを感じた。命を懸けてその場に駆けつけた人々の痛いほどの期待、そして、そんな気持ちに応えるスーチー氏の固い決意が特別な空気を作っていた。
イチローに象徴される日本チームがもたらしたもの、それは、「日本」に対する畏敬の念を内外に再認識させた点ではないだろうか。素晴らしい製品を生み出す豊かな国との認識の反面、スポーツにおける国際大会で、日本チームは決して勝負強いとは言えなかった。しかし、目的意識の高さ、応用力、気迫、さらにスピードと技術。日本人が、より体の大きな相手に勝つために必要な要素を、今回の日本チームは極めて高いレベルで見せてくれたような気がする。日本人は、実はすごいんだ! ということをみんなが実感した。そして、その象徴がイチローだった。
今回の大会でイチローがもたらしてくれたもの、それは私たちが忘れかけていた「誇り」だったのだ。
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