先日、ナイロビの蜂(The Constant Gardener)というイギリス映画を観ました。
ナイロビに駐在している外交官ジャスティンと、人道活動家の妻テッサの愛の物語なのですが、とても重い社会派映画としての側面もあり、考えさせられました。
この映画は、テッサが不慮の死を遂げるところから始まります。事なかれ主義で、庭いじり以外何も興味のなかったジャスティンが、テッサの足跡をたどる中で、彼女が危険を冒しながら貧しい人々を実験台にした製薬会社の結核治療薬治験を追及していたことを知ります。彼女の愛の大きさと勇気を知ったジャスティンは、しかし、同様に命を狙われ天国の妻のもとへと旅立つ・・・そんなストーリーです。
私も国連ボランティアとして南部アフリカのモザンビークで活動していたことがありますが、この映画の様々なシーンと同じ経験を何度も味わいました。例えば結核治療帰りの貧しい女性が赤ん坊を抱きながら灼熱の太陽の下を歩いているシーン。車で通りかかったテッサはジャスティンに「乗せてあげて!」と声を張り上げますが、ジャスティンは「目の前の一人を助けたところでどうするんだ。同じ人は、他にも沢山いるんだ」とはねつけます。確かに、みんなが歩いている中、特定の人を乗せる行為は不公平と受け止められ、住民同士の軋轢を生む可能性さえあります。また、国連と同様、外務省のような組織では、現地の人を同乗させることは恐らく禁止されているのでしょう。しかし、せめて目の前の人を助けることをせずに、何ができるのか? そんな葛藤に苦しみながら、私自身緊急性や、必要性の度合いなどを考えながらその都度、対応していたことを思い出しました。全ての人を乗せることも、本当に困っている人を断ることもできない。そして、自分の本来の仕事は別にある・・・そんな状況で、どんな行為が人々との信頼関係を築き、より人間的な行為なのか、そこに決まった答えはなく、その場その場で判断していく他なかったように思います。
そのジャスティンはティサが殺された地域に行くため、国連食糧計画(WFP)の飛行機で村を訪れた時、村が襲撃され、ジャスティンは現地の子供と一緒にようやく国連機まで辿り着きます。彼はその子を救うため、国連機のパイロット懇願するのですが、「規則で援助関係者以外は乗せられない」と断られてしまうのです。私自身も拙著「心にかける橋」(学陽書房)の中で、私の任地の村(ラタナキリ州ボケオ村)に住む、重度のマラリア患者を国連のロシア人パイロットと大喧嘩をした挙句、緊急の輸血を行うため病院まで乗せてもらったカンボジアでの体験を書きました。瀕死の状態だった患者が無事戻ってきた時の安堵感とともに、同じケースが起こった時に、いつも同様の対応はできないことを痛感し、村でマラリア患者が危険な状態に陥るたびにその家族の視線を痛いほどに感じる毎日でした。
この映画で描かれているように、巨大製薬会社が企業間競争に勝つため政府と癒着して人体実験を行う行為、それは許されない人道上の罪だと思います。その一方で、死に瀕した人間が少しでも助かる可能性があるなら、安全性が確認されていない薬であっても飲んで治したい。そんな切実な現場の要望があるのもまた事実なのです。私の知人の医者が、「医者の腕は手術の回数に比例する。だから、若いうちに失敗しても責任が問われない国で経験を積ませる制度を作ってはどうか?」と政策提言をしてくれたことがありました。私は素直に頷くことはできませんでしたが、少なくとも、誰も行かないことで見捨てられる患者の一部は助かり、また、その経験によって、日本に戻った後の治療にも生かせるならばメリットはあるのです。何が正しい対応なのか、日本での常識は、現場での圧倒的な貧困と、人間の尊厳の危機の前では意味をなさないことを、私自身何度も思い知りました。
自分の中では少し遠くなってしまっていたアフリカでの日々。しかし、その当時の葛藤と政治を志した原点を再び認識し、いろんなことを考えさせられた映画でした。
写真:建築現場で資材を運ぶモザンビークの子供(1994年撮影)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ
ナイロビに駐在している外交官ジャスティンと、人道活動家の妻テッサの愛の物語なのですが、とても重い社会派映画としての側面もあり、考えさせられました。
この映画は、テッサが不慮の死を遂げるところから始まります。事なかれ主義で、庭いじり以外何も興味のなかったジャスティンが、テッサの足跡をたどる中で、彼女が危険を冒しながら貧しい人々を実験台にした製薬会社の結核治療薬治験を追及していたことを知ります。彼女の愛の大きさと勇気を知ったジャスティンは、しかし、同様に命を狙われ天国の妻のもとへと旅立つ・・・そんなストーリーです。
私も国連ボランティアとして南部アフリカのモザンビークで活動していたことがありますが、この映画の様々なシーンと同じ経験を何度も味わいました。例えば結核治療帰りの貧しい女性が赤ん坊を抱きながら灼熱の太陽の下を歩いているシーン。車で通りかかったテッサはジャスティンに「乗せてあげて!」と声を張り上げますが、ジャスティンは「目の前の一人を助けたところでどうするんだ。同じ人は、他にも沢山いるんだ」とはねつけます。確かに、みんなが歩いている中、特定の人を乗せる行為は不公平と受け止められ、住民同士の軋轢を生む可能性さえあります。また、国連と同様、外務省のような組織では、現地の人を同乗させることは恐らく禁止されているのでしょう。しかし、せめて目の前の人を助けることをせずに、何ができるのか? そんな葛藤に苦しみながら、私自身緊急性や、必要性の度合いなどを考えながらその都度、対応していたことを思い出しました。全ての人を乗せることも、本当に困っている人を断ることもできない。そして、自分の本来の仕事は別にある・・・そんな状況で、どんな行為が人々との信頼関係を築き、より人間的な行為なのか、そこに決まった答えはなく、その場その場で判断していく他なかったように思います。
そのジャスティンはティサが殺された地域に行くため、国連食糧計画(WFP)の飛行機で村を訪れた時、村が襲撃され、ジャスティンは現地の子供と一緒にようやく国連機まで辿り着きます。彼はその子を救うため、国連機のパイロット懇願するのですが、「規則で援助関係者以外は乗せられない」と断られてしまうのです。私自身も拙著「心にかける橋」(学陽書房)の中で、私の任地の村(ラタナキリ州ボケオ村)に住む、重度のマラリア患者を国連のロシア人パイロットと大喧嘩をした挙句、緊急の輸血を行うため病院まで乗せてもらったカンボジアでの体験を書きました。瀕死の状態だった患者が無事戻ってきた時の安堵感とともに、同じケースが起こった時に、いつも同様の対応はできないことを痛感し、村でマラリア患者が危険な状態に陥るたびにその家族の視線を痛いほどに感じる毎日でした。
この映画で描かれているように、巨大製薬会社が企業間競争に勝つため政府と癒着して人体実験を行う行為、それは許されない人道上の罪だと思います。その一方で、死に瀕した人間が少しでも助かる可能性があるなら、安全性が確認されていない薬であっても飲んで治したい。そんな切実な現場の要望があるのもまた事実なのです。私の知人の医者が、「医者の腕は手術の回数に比例する。だから、若いうちに失敗しても責任が問われない国で経験を積ませる制度を作ってはどうか?」と政策提言をしてくれたことがありました。私は素直に頷くことはできませんでしたが、少なくとも、誰も行かないことで見捨てられる患者の一部は助かり、また、その経験によって、日本に戻った後の治療にも生かせるならばメリットはあるのです。何が正しい対応なのか、日本での常識は、現場での圧倒的な貧困と、人間の尊厳の危機の前では意味をなさないことを、私自身何度も思い知りました。
自分の中では少し遠くなってしまっていたアフリカでの日々。しかし、その当時の葛藤と政治を志した原点を再び認識し、いろんなことを考えさせられた映画でした。
写真:建築現場で資材を運ぶモザンビークの子供(1994年撮影)
さかぐち直人政治活動ホームページ
阪口直人国際協力活動ホームページ