阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

タイ国境からのビルマ難民レポートⅡ

2010年02月17日 23時55分13秒 | 政治

 今日はラオス共産党の青年幹部、そして、インドネシアの国会議員と交流する機会がありました。インドネシアでは、ガジャマダ大学の大学院で教えたり、スマトラ島・アチェの津波被災地で救援活動、紛争地域であるマルク諸島で平和構築活動を行った経験があります。マルクやアチェ選出議員も参加されていて、話が弾みました。

 タイのビルマ(ミャンマー)難民キャンプで聞きとり調査を行っている秋元由紀さんからの現地レポートが届きました。是非、お読みください。


 タイのメーソット(メソト)という町から近い、メラ難民キャンプに行ってきました。比較的最近、同キャンプに到着した人たちに、どのような事情でタイに来たのか、話を聞くことができました。

 前回、書きました通り、国境の向こう側、ビルマ(ミャンマー)東部地域は、少数民族の武装勢力と、ビルマ国軍の勢力とが対立する紛争地域です。メラキャンプにいる人の多くはカレン民族で、ビルマ軍勢力による攻撃や人権侵害を逃れてきました。この紛争地域で調査活動をするのは容易ではないので、ビルマ情報ネットワークを始めとした外部の団体などがこの地域での人権侵害状況を調べるには、ビルマ側からタイ側に渡ってきた人たちから話を聞くことが、有効な手段のひとつとなっています。

 今回の聞き取り調査(インタビュー)でも、衝撃的な証言がいくつも出てきました。一部をご紹介します。なお、証言内容(特に出来事の日時や、人の年齢、距離などの数字)をなるべく正確に記録するには、本来は何度か聞き取りを繰り返して確認を重ねる作業が必要なのですが、今日のレポートではひとまず、今回聞いた通りのことを書きます。また、実際には名前や出身の村なども聞いていますが、ここでは省きます。

メラ難民キャンプでのインタビュー

その1~カレン民族の男性(80代)

・義理の息子(娘の一人の夫)がビルマ軍に撃たれて死亡。

・住んでいた村が焼き討ちにあい、家が燃やされたことが2回ある。

・ビルマ軍兵士にひどく殴られ、しばらく片目が見えなくなったこともあった。

その2~カレン民族の男性(40代)

・子どものとき、両親がビルマ軍に撃たれて死に、孤児となった。

・結婚して子どもが1人できたが、妻と子どもがビルマ軍に撃たれて死んだ。

・今年の1月にメラキャンプに来たが、難民としての登録ができていないので食糧の配給が受けられない。布団も服もまだない。再婚した妻との間に9人の子どもがいるが、食べ物がないので、キャンプ内の知り合いの家などに行って食べさせてもらっている。

・心はまったく穏やかではない。なぜこんな人生になったのか、わからない。

その3~カレン民族の女性(40代)

・2008年12月頃、夫と、7人いる息子のうち年上の3人(合わせて4人)とが、農作業中にビルマ軍に拘束され、どこかに連れて行かれた。自分はその場にいなかったが、村の住民が見ていて、伝えてくれた。

・それまでにも、夫や息子がビルマ軍に強制労働を命じられ、数日間家を空けることが何度もあった。しかし今回はいくら待っても帰ってこなかった。(結局、残った4人の息子とタイに渡り、2009年2月にメラキャンプに着いた)。

・自分は村の学校で教師として働いていた。教師は全部で6人いて、全員がほぼ毎週、強制労働を命じられた(道路づくり、整地など)。教師がいないと授業ができないので、学校では進度が遅れて困った。

・国際社会に言いたいこと:弾圧されて今も苦しんでいる人がいることを忘れないでほしい。

もう2人からの証言を、次回のレポートでご紹介します。

 最後に写真を一枚(ぼけてしまい、すみません)。ビルマでのとてもつらい体験を話してくれた後、写真を取らせてくださいと頼んだら、カメラを向ける私の隣にいた人の真似をしてペコちゃんのポーズ(?)を取って、自分でもおかしくなって大笑いする女性です。話を聞いた方の私たちは笑いながらも、話の内容とのギャップに、とても謙虚なというか、恐れ多い気持ちになりました。聞き取り調査では、こうした瞬間がよくあります。<続く>


【背景】メラ難民キャンプ

タイのターク県にある、タイ・ビルマ国境最大の難民キャンプ(2009年12月現在、約4万人が暮らす)。2005年から第三国定住事業が始まり、1万人以上がアメリカなどへ移住している。日本政府も今年、メラ難民キャンプから30人の難民を受入れる予定で、現在、移住候補者との面接などを進めている。

タイ・ビルマ国境支援協会(TBBC)による概要はこちら(英語)
http://www.tbbc.org/camps/mst.htm#ml



その4~カレン民族の男性(50代)

・20年前に住んでいた村が焼き討ちにあって以来、ずっとビルマ軍に苦しめられてきた。毎月のように強制労働を命じられ、何度も移住もさせられた。なぜタイに来たのか? まだ死にたくない。もっと生きたい。これまでよりも意味のある人生を送りたい。

その5~カレン民族の女性(50代)

・夫は強制労働(ビルマ軍のための荷物運搬)をしたときに死んでしまった。お金がなく子どもを学校にやれなかった。

・自分も頻繁に強制労働を命じられた。その際、食べ物は支給されないので自分で用意する。

・あるとき、女性ばかり5人がビルマ軍に捕まって、ビルマ軍の一行の先導をさせられた。中身はわからないが、大変重い荷物も背負わされた。ビルマ軍が女性に先導させたのは、そうすれば、ビルマ軍の敵であるカレン民族同盟(KNU)による攻撃が防げると考えたからだと思う。5人のうち1人が、自分の目の前でビルマ軍兵士に射殺された。

・住んでいた村では、昔から男性が村長を務めていた。しかしビルマ軍が村に来るようになってから、任期中に言いがかりをつけられて殺される村長が相次ぎ、男性は誰も村長を引き受けなくなった。このため、月ごとに女性の住民2人ずつが交代で村長の役割を果たすことになった。

このほかにも数人から話を聞きましたが、ほぼ全員が、ビルマ軍にあまりに頻繁に強制労働を命じられるので自分の生業を営むのに支障が出ていたことを話していました。ただ、それだけが理由でタイに渡ったのではなく、日常的に強制労働を命じられ、移転を繰り返しながらもぎりぎりまでビルマに暮らしていたが、「どうしても、これ以上ビルマにいられない」と思う原因となった事件や出来事があったことが、話をしてくれた人たちの間で共通していました。



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