残念な結果になりました。日曜日に行われた県会議員選挙で橋本市から立候補した瀧洋一候補は約2500票差で4位に沈み、和歌山2区の民主党候補として初めての県会議員の議席を獲得することができませんでした。
懸命な頑張りによって接戦に持ち込んだ手応えがありました。選挙の時だけではありません。6年間、駅に立ち、路上で訴えてきたのです。月曜日の林間田園都市駅、金曜日の橋本駅に朝6時半に行けば必ず本人がいて、様々な要望に応える準備をしていることは、橋本市民にとっても大きな安心につながるはずでした。5人の中では唯一の政権与党の候補者ですから、橋本市民にとっても瀧さんを当選させるメリットはあったはずです。また、民主党への逆風が強まる中でも信念を曲げず、政権与党の一員として厳しい声に立ち向かってくださった姿勢は、政治家として、人間としても本当に尊敬すべき態度だったと思います。
私も本人と一緒に数百回の演説をし、また人がいれば必ず走って握手をしては支持を求めました。陣営が感じさせたエネルギーは他を圧倒していたと思います。
しかし、勝てませんでした。
「火事は最初の5分、選挙は最後の5分が勝負!」と言われます。しかし、接戦ならともかく、地盤や組織力の差は、「最後の5分間」で埋められるものではありませんでした。結果が出た今振り返ると決して不思議な負けではありませんでした。
私にとっては県会議員の候補者を橋本市選挙区でしか擁立できなかったことが、そもそも総支部長として力不足でした。もちろん、海南市、岩出市、紀の川市にも熱烈に立候補を希望してくださる方がそれぞれ複数いたのですが、民主党への逆風が強くなるにつれ、結局立候補を断念されることとなりました。国では政権を担っているとは言え小さな選挙ほど様々な地域のしがらみがあり、地元の方ほど立候補するには勇気が必要です。総支部長に身を預ける決心をして頂くには心許なかったのでしょう。
4年間は本当に長いと思います。しかし、考えてみれば私自身も6年間の浪人生活を経ての当選。自民党王国和歌山と言われ、ポスター1枚貼る事さえ困難な中からの挑戦でした。報われない努力はないと信じて共に頑張るしかありません。私たちは挑戦者。政治を後退させないためにも地域でひとつひとつ対話を重ねると同時に、何より国政で民主党政権としての成果を積み上げることしか信頼を勝ち取る方法はありません。厳しい道のりですが、必ずやります。