阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や平和構築活動、趣味や日常生活についてメッセージを発信します。

鳩山vsアハティサーリ会談の意義-国際紛争の調停者としての日本を目指すために

2011年11月26日 22時54分09秒 | 政治

 昨日は、2008年のノーベル平和賞受賞者でフィンランド元大統領マルティ・アハティサーリ氏を囲んで国会内でふたつの勉強会を実施しました。

 アハティサーリ氏は、外交官として、また国連のミッションの代表としてナミビア、北アイルランド、イラク、コソボなどで紛争解決や平和構築に従事してきました。その中でも30年にわたって紛争が続いてきたインドネシア・スマトラ島アチェの紛争を解決に導いたことが最大の功績とされています。アチェの和平は、日本政府が野心的に取り組んだ稀な例なのですが、2003年に屈辱的な失敗に終わりました。それを、ひとりのフィンランド市民だったユハ・クリステンセン氏と調停役を引き受けたアハティサーリ氏のコンビが30年間の内戦を終結に導きました。その気概と戦略を日本の国会議員とシェアして頂きたいと思い、昨日の勉強会を企画しました。

 国会議員の中で、私が誰よりも会わせたかったのは、鳩山由紀夫元首相でした。昨年6月2日、まさに鳩山首相が辞任された日、私は「次は日本のアハティサーリを目指してください!」と紛争の調停者としての挑戦を提案しました。「そのためのシンクタンクとして鳩山平和財団を作っては如何でしょう?」と唐突に提案したところ、「では議員を辞めて協力してくれるかな?」と笑って返されましたが、私はすぐに「提案書」を持って行き、さらに迫りました。そして昨日、アハティサーリ氏と1時間にわたって会談の機会を作ることができたのでした。



写真上:左から川内博史衆議院議員、鳩山由紀夫元首相、アハティサーリ元大統領、私。


 私は国際協力における顔の見せ方としては「草の根」で顔を見せること、そして国際交渉で存在感を示すことの二つがあると思います。私は国際交渉の中でも多くの人々の命を救う「和平協定の締結」には特別な意味があると思っています。自民党政権下、一貫して米国追従の外交姿勢を取ってきた日本が、多くは米国が関与してきた紛争の「調停役」を務めることには無理がありました。しかし、鳩山元首相は、CO2削減や東アジア共同体構想など、より地球益の視点に立った外交姿勢を示したと思います。道半ばで辞任に追い込まれましたが、紛争調停役の資格を持った最初の日本のリーダーだと思い「前首相」になったその日に待ってましたとばかり働きかけたのでした。

 なぜ「元(前)首相」がいいのか。アチェを例に取ると、私は「内政不干渉」の立場を取る日本政府では、インドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)の交渉の公正な仲介者になること自体無理があったと思うし、紛争当事者の、時に理不尽な要求を受け止める役割は政府にはそぐわないと思います。先週私の部屋を訪ねてきてくれたクリステンセンも言っていましたが、市民社会の中に豊富なアクターがいること、そして国際社会を動かせる政治的な力も持ったフェアな調停者が強力なリーダシップを発揮することが交渉を成功させる鍵だと思います。元イスラエル首相のペレス氏、元米国大統領のカーター氏、そしてアハティサーリ氏の3人のノーベル平和賞受賞者は、いずれも元国家リーダーとしての立場を活かして多くの紛争を和平に導きました。

 昨日の会談の最後に鳩山元総理がおっしゃった言葉が印象的でした。

「私は友愛の精神を掲げてきましたが、元大統領が、紛争当事者に人間としての尊厳を認めて接し、それぞれの主張の違いを認め合う中で解決の糸口を見出したこと、非常に参考になりました。この分野で日本の政治家として果たすべき役割を果たしていきたいと思います」

 その言葉に、会合をセッティングした大きな成果を感じました。鳩山さん! アハティサーリ氏の危機管理イニシアティブ(CMI)、カーター氏の「カーターセンター」に相当するチーム作りから始めましょう! 私もまだ議員は辞めませんが、微力を尽くす覚悟です!





写真上:第一部は超党派の国会議員を対象に行い、私がモデレーターを務めました。




写真上:まるでベテランの教育者ような穏やかな口ぶりで惜しみなく知見を披露してくださいました。




写真上:第一部に参加してくださった国会議員と。金曜の夕方だったので途中退席された方もいましたが、活発な意見交換ができました。