いよいよ明日が公示日。12日間の選挙戦が始まります。16日までブログの更新ができませんので、民主党を離党し、日本維新の会に参加したことに伴う皆さんからの質問にまとめて答えたいと思います。
Q.阪口さんは民主党の中でもリベラルだったのに、どうして右寄りの維新に行くのか?
今の政治家の立ち位置を表す「リベラル」や「右」という言葉の定義についてはいずれ書かせて頂くとして、海外でのボランティア活動を長くしていたこと、NGOなどの市民社会の方々との関係が強いこと、とりわけ、ミャンマーをはじめとする軍事政権に否定的な立場を取り、「民主化支援」に力を入れていたことなどから、「民主党内でもリベラル」という指摘は外れてはいないと思います。私はアジアの方々との「共生」が大きなテーマですし、電気も水道もない村でアジア、アフリカの奥地で現地の方々と寝食を共にした数年間は、自分の価値観の形成に大きな影響があったと思います。
一方で私は、自分自身の紛争地での平和構築活動の経験から、自衛隊が命の危険に瀕している日本人を助けることもできず、また、自衛隊員が他国の軍隊に守ってもらわなければならない状況は、変える必要があると問題意識を持っています。
また、尖閣諸島や竹島を巡る中国や韓国の理不尽な行動に対しては、あらゆる外交的措置を講じて断固国益を守るべきとも主張しています。
私の政治的価値観の根幹は、「現場の声を大切にする」「弱い立場の人に温かい政治をする」ことにあります。政党が変わっても私の立ち位置は変わりません。しかし、日本という国が、国力を強化し、経済的、政治的にアジアのリーダーになることが、環境や人道に配慮した地球益、人類益を守る外交を力強く実現することにもつながると思います。従って、徹底的に国益を守る一環で、外交力の源泉としての防衛力の向上は、現状では不可避だと思います。石原代表のタカ派的なイメージはともかく、維新の外交防衛政策は、極めて現実主義だと思っています。
なお、石原代表の「三国人」「支那」などという表現は、私の感覚にそぐわないものであることも付け加えておきます。
Q.解散後に表明するのは遅すぎるのではないか?
急な離党表明によって、多くの方々にご迷惑をかけたことについては本当に申し訳なく思います。特に民主党の方々や支援団体の方々の怒りは当然だと思います。
10月初旬に維新の関係者に声をかけて頂いた後、悩みに悩みました。一方で、維新も他党との連携の話もあり、実際に私が行くと決めたからといって行けるのかどうかわからない状況でした。しかし、11月16日、突然の解散になり、極めて短い時間で最終決断を迫られることになりました。16日の夜に和歌山に戻った夜、国会勤務の政策秘書と地元秘書全員を集めて、和歌山駅前のカラオケ店でミーティングをしました。日本維新の会から声を掛けて頂き、民主党を離党して日本維新の会に移ることを考えていると伝えたところ、全員が賛同しました。最終的に決めたら19日の朝に記者会見する可能性が高いことを伝えた上で、週末の予定なども変更しました。
民主党関係者には、可能なら本当はもう少し早めに言っておくべきだったと思います。
しかし、同じ和歌山(3区)の玉置公良衆議院議員が、維新への移籍を考えていると報道されたことで、ご本人が大変な苦悩をされていたことを県連代表として身近に見ており、私も様々な対応をすることにもなっていた経緯もあり、この問題は、周辺に相談すべきものではなく、最終的には私自身が受け止め、全ての責任を負うべきものであることと覚悟を決めました。
突然の解散表明を受け、決断したら一日も早く表明する必要を感じたこと、日本維新の会からも、期限を切って表明することを求められたため、16日に秘書に伝えていた通り、19日に離党届を提出し、国会と和歌山で維新入りの記者会見をしました。ごく一部の方々に直前にお伝えした以外は、事後の報告になってしまったことは痛恨の極みです。しかし私の表明はこれでもフライングだったようで、実際には20日に面接を受けて、正式に公認が決まったのは21日でした。もし、不合格であれば、今頃は何をしていたのでしょうか。
基本的に実現すべきと考える政策、そして政党が変わっても変わりません。
Q.結局、選挙目当てではないのか?
このブログにも何度か書いているように、私自身は国と地方の統治の在り方を変えることが関心の全てです。殺されてもいいと、捨て身の覚悟で維新に飛び込んだので、この改革を貫く上で最大のエネルギーを持っている政党として維新を選びました。
実は多くの民主党の仲間が選挙を前に維新への移籍を希望して動いていたことも知っていますが、私はあくまで政策ベースで声をかけて頂き、自分自身が訴えていた政策(制度改革)を実現する一点で参加することを決めました。
私が民主党を離党し、維新入りを表明した19日の有力紙には、政党支持率として民主党は16%、日本維新の会は4%と報道されていました。選挙目当てであれば、支持率が高い政党から立候補するのが普通です。また、民主党と違って維新は公認料もなく、選挙費用は全て自腹です。また、政党支部の活動費として10月に支給された300万円は返還しましたし、民主党時代の支援組織も離れ、おまけに、移籍に賛同していたはずの公設第一秘書は留守番電話にメッセージを残したのみで、様々な情報や備品を持って一方的に退職し、私の対立候補になりました。
民主党県連は秘書全員を引き抜くつもりで連日、様々な脅しの言葉で連絡をしてきたようです。しかし、厳しい状況にもかかわらず、残ってくれたスタッフや支援者は結束し、完璧な準備を整え、素晴らしい雰囲気で公示日を迎えることができました。状況は厳しいのですが、私が理想とする政策、そしてビジョンを、私の本来のスタイルで全身全霊訴えるだけです。明日からの選挙戦、全力で走ります。皆さん、今度こそ、日本を変えましょう!