赤い椅子

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熊野古道・大辺路Ⅳ

2007-09-15 21:50:19 | ノンジャンル
9月12日、13日は熊野古道を歩く390キロの大辺路の4回目、
周参見から田子までの約26kを2日間に分けて歩きます。
先発隊の話では暑さとの戦いだったとか・・・
雨を心配したけれど、幸か不幸かのかんかん照りの日和。

12日、バスの中で少し早い目の昼食を済ませ、
今回の出発口「馬転坂(うまころびざか)」の入口へ。
先の五月にも同行していただいた新谷さんというガイドさんは、
地元で長井坂・馬転坂ルートを切り開いたり、自然ガイドの資格も取り、
いろんな方面で活躍されている方です。
地元のボランティアが大辺路を復元、保全、研究の推進などの活躍をされ、
現在までに串本町和深、田子、すさみ町馬転坂などの整備をされているそうだ。



苔むしたうっそうとした坂道を行き、あちこちにきれいな色のキノコが
見えるが、写真を撮っていると歩くのに遅れ、常にシンガリ・・・!



20分ほど歩くと明るくなり、目の前に海が見えた。
バブルの頃に大阪の人が買い、その後造成されたまま放置されたところに
出た。造成で古道は一部分断されているようだが、眺めは良い。


















今は国道などの造成で今は寸断されているがとても急な坂道があり、
難所の一つだったそうです。(馬転坂の語源)
現在の国道42号線が、はるか下に見えています。
非常に急斜面の上で下を見ると足がすくむ。
真ん中辺りの茶色い線がJRきのくに線。

5分ほどで旧国道だったという道に出て、現在の国道42号線に合流すると
長井坂、世界遺産の看板がある。



西の庚申さんをみながら、緩やかな上り坂を登っていく。
タオの峠、一里塚の松跡などを歩きながら野の花に見とれたり・・・
今回花の写真がほとんどピンボケで「季節の花300」さんの画像を
お借りしました。ごめんなさい<m(__)m>



左上 釣鐘人参      右上 サフランもどき
左下 ゲンノショウコ(白)右下 紀伊仙人草

歩き始めて約1時間、和深(わぶか)という集落に入る。
熊野の里山の典型で、集落の入り口に廃校となった小学校がある。
昔この村ではアメリカ兵のためにレタスを栽培し栄えた時もあったという。
石垣もそのほとんどが石を積み上げた昔ながらのものでいい雰囲気だ。

寂れた村に都会から人が住みに来て、いるかの形の家を建てたそうだ。
星を見る小屋もありよく目立つこと・・・















20分ほど歩くと左手に大辺路では貴重な王子社の、和深川王子がある。
王子社から10分足らずで小さな鉄の橋があり、そこからが長井坂である。
坂が長いから長井坂という割には登りが思ったよりは楽に登れた。
峠に着くと尾根伝いに平たんな道が続く。鹿や猪の荒らした跡がある道が続く。



こんな愉快な看板を見つけた。

道は木漏れ日が差し、木々の隙間から枯れ木灘の陽に輝く海面が見える。
天然林のトンネルで、ウバメガシ、などの常緑樹を中心に、落葉樹もたくさんあり
その落ち葉が適度なクッションになっていて心地よい道だ。



暑さを忘れる木陰の道で風が心地よく過ぎる。
つつじの頃はこんなだよ・・・と写真を見せてくれるが美しい景色だ。
その季節には歩いて見たいと思うが・・・

尾根道からは枯木灘といわれる海が見える。
















ピラミット形の島が美しい



途中に、「段築(だんちく)」と呼ばれる道があった。
土を盛り上げたり削ったりして平らにした道のことで、
江戸時代以前に作られたというが、新谷さんは
「ここは道の保護のためステッキを使わずに歩いてください」という。

「みぎはやまみち」「ひだりはくまのみち」という石の道標が苔むしてあり、
坂をどんどん下りる。恐怖の下りである。石がゴロゴロの下りで怖い。
あと1キロという道標から下り坂はまだ続いていた。
さらに急で歩きにくい道になってきた。少し足が攣りそうになってきた。
やはり捻挫の足を庇っているのだろう。
JRきのくに線の見老津(みろづ)駅が眼下に見えてきたときはうれしかった。



待機のバスに乗り約40分、バスの車窓からきれいな夕日を眺めながら
今夜の宿、串本ダイワロイヤルホテルに6時前到着。
即お風呂で汗を流す。
筋を伸ばしてゆっくりと入り、さっぱりした後の夕食が美味しかった。
1日目の12キロ、水分補給をたっぷりとして歩き遂せたという感じ!


コメント (2)
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