赤い椅子

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思いだすこと

2015-01-17 20:14:00 | ノンジャンル
阪神淡路大震災からちょうど20年の今日…
それなりにいろんなことを思いました。



当時、旧の家の2階で寝ていて、何か変な鈍い音を聞いたような、
それと同時に、下から突き上げられるような衝撃を感じました。

隣室に寝ていた夫は、整理ダンスの上の飾り棚を、
とっさに起きて抑えたと言います。

なんだったの~と家族が目をこすりながら起きだしてきて集まったけれど、
何と言うこと!次女は知らずに眠りこんでいたのを姉に起こされて
「どうしたん~?」と言う図太さ(@_@;)

テレビで神戸方面のひどい地震だと知り、とっさにその方面に独り住まわれる
歌の大先輩の上田久子さんに電話をしました。
「仏壇が飛んできたのよ~でも無事…ありがとう」と話をしました。
電話が大混乱を起こし途切れるより先だったのが幸いでした。

それから2~3日後、もう一人老齢の菊川康雄さんのことが気になりましたが、
電話はもちろんつながらず、新聞に訪ね人としてお願いをしましたが
消息がつかめません。
考えあぐねて、やはり大阪支社の葦沙雄造さんに同行していただき西宮まで
たずねて行きました。
当時、阪急電車は西宮北口までしか行けなくて、そこから住所を頼りに探して
歩きました。木造の家の下敷きになってぺしゃんこになった車や、
見るも無残な街並みを歩き、心が沈んでいくのを堪えながら歩きました。

尋ねあてた菊川さんの家は半壊状態で、家人はいませんし、ご近所で聞くにも
人がいません。どこか避難場所におられるといいが~と言いながら
すべなく帰ってきたことでした。
新聞の尋ね人欄には引き続きお願いをしていました。

このことを思い出しながら、すでに地震にも耐えられたお2人の方も
その後何年かして亡くなられ、
同行してもらい心丈夫だった葦沙さんもすでに亡き人です。

20年と言う歳月の長さを思い、その後に起こった我が家の諸々を思い
考えさせられることの多い1日でした。

大阪支社の、素晴らしかった大先輩達を思いだすよすがの日でもありました。

その年に生まれ、震災を知らない人たちが成人式を迎えたということに
複雑な感慨を覚えます。
60歳であった人たちが80歳になり、住むところに不安を抱えている
こともニュースで知りました。
どうにもならない、何もできないことが多すぎる世の中です。




コメント (3)
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