博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『桟雲峡雨日記』

2010年07月06日 | 中国学書籍
竹添井井著・岩城秀夫訳注『桟雲峡雨日記』(平凡社東洋文庫、2000年2月)

久々の戦前の中国旅行記シリーズです。今回は『左氏会箋』の著者として知られる竹添井井の旅行記で、明治9年(1876年)の旅について書き残しているということなので今まで読んだ中で最古の旅行記となりますね。北京から洛陽・西安・成都などの地を経て長江を下り、三峡を通過して上海に至るという旅程です。

宿で寝てたら盗賊に衣服を盗まれたり、中国人が阿片にハマる様子を見て憂慮したりと、一応現実の中国を目の当たりにしているはずなんですが、行く先々で漢詩を作ったりと、バーチャル中国に浸り気味の旅であります(^^;) これが桑原隲藏の『考史遊記』あたりになると、イヤでも現実を見据えざるを得なくなるのですが……

以下、気になった所をピックアップ。

○キリスト教を妖教と決めつけ、偏見丸出しの竹添先生。仇教運動をおこした中国人民に近いメンタリティを持っているんでしょうか。

○満州人の衣服や帽子を身に付け、蒙古の行脚僧(モンゴルラマ僧?)の身なりに扮して人目を避けるように旅をしていた竹添先生。コスプレかっ!とツッコミたいところですが、満州人の服装をしていたのかラマ僧に扮していたのかはっきりして頂きたい(^^;)

○宇野哲人『清国文明記』と同じく、華清池でやっぱり入浴している竹添先生。ここまでの旅路で宿に風呂が無かったため、思わず入浴してしまったということですが(^^;)

○文昌帝君が学問の神であることに不満の意を表明する竹添先生。そんな怪しげなもんに祈っても科挙には通らねえよ!とツッコミたいらしいが、今更そんなこと言われても中国人も困るでしょうに(^^;)

○赤壁の候補は5箇所あるが、湖北嘉魚の赤壁のみが史実と合致すると考える竹添先生。ちなみに現在一般的に赤壁の戦いの跡地として観光地化されているのは湖北省赤壁市(旧蒲圻市)。もちろん嘉魚とは別の所です。
コメント
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