桜井英治『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』(中公新書、2011年11月)
中世の日本の贈与にまつわるあれやこれやをまとめた本ですが、人からもらった贈答品を他への贈答に流用したり、そうやって何度も流用された贈答品が回り回って自分への贈答品として戻って来たりというエピソードを読むと、自分家に届いたお歳暮をよその宅へのお歳暮に流用するような行為は昔から行われていたんだなあと得心がいくわけです(^^;)
そして本書では、現金が平気で贈答されるのは今日の日本の特殊性であると指摘しています。これはおそらく入学祝いとか結婚祝い、あるいはお年玉なんかを指して言っているのでしょうけど。で、現金の贈与に関わるものとして紹介されている中世の折紙システムが本書の最大の読み所です。これは贈答品の目録に相当するものですが、現金を人に贈る場合は、まず金額を記したこの折紙を相手に贈り、現金は後から届けるのが当時の礼儀であったとのことです。
問題は、実際に現金が相手に届けられるのが折紙が出されてから数ヵ月後、1年後、数年後になることがしばしばあり、ひどい場合には結局現金が届けられないことすらあったということです。
この折紙が今日でいう約束手形とかクレジットカードのような役割を果たしており、この折紙システムの普及によって資金の準備が無い場合でも贈与が行えるようになったということで、相応の経済力の無い人々によって折紙が濫発されたとか、毎年納入される年貢から折紙分の金額が引き落とされたとか、あるいは自分のもとに年貢を納入してくる相手に対して折紙を出した場合には、納入される年貢から折紙分の代金を控除したりとか、そういう話を延々と読んでいると、人間のやること考えることはいつの時代も変わらんなと、とても胸が熱くなってきます(^^;)
これ以外にも歴史の中の贈与というものに対して色々考えさせられる要素に満ちているので、題名にピンと来たら是非手に取ってもらいたい本です。
中世の日本の贈与にまつわるあれやこれやをまとめた本ですが、人からもらった贈答品を他への贈答に流用したり、そうやって何度も流用された贈答品が回り回って自分への贈答品として戻って来たりというエピソードを読むと、自分家に届いたお歳暮をよその宅へのお歳暮に流用するような行為は昔から行われていたんだなあと得心がいくわけです(^^;)
そして本書では、現金が平気で贈答されるのは今日の日本の特殊性であると指摘しています。これはおそらく入学祝いとか結婚祝い、あるいはお年玉なんかを指して言っているのでしょうけど。で、現金の贈与に関わるものとして紹介されている中世の折紙システムが本書の最大の読み所です。これは贈答品の目録に相当するものですが、現金を人に贈る場合は、まず金額を記したこの折紙を相手に贈り、現金は後から届けるのが当時の礼儀であったとのことです。
問題は、実際に現金が相手に届けられるのが折紙が出されてから数ヵ月後、1年後、数年後になることがしばしばあり、ひどい場合には結局現金が届けられないことすらあったということです。
この折紙が今日でいう約束手形とかクレジットカードのような役割を果たしており、この折紙システムの普及によって資金の準備が無い場合でも贈与が行えるようになったということで、相応の経済力の無い人々によって折紙が濫発されたとか、毎年納入される年貢から折紙分の金額が引き落とされたとか、あるいは自分のもとに年貢を納入してくる相手に対して折紙を出した場合には、納入される年貢から折紙分の代金を控除したりとか、そういう話を延々と読んでいると、人間のやること考えることはいつの時代も変わらんなと、とても胸が熱くなってきます(^^;)
これ以外にも歴史の中の贈与というものに対して色々考えさせられる要素に満ちているので、題名にピンと来たら是非手に取ってもらいたい本です。
では、貴方にも目録を送りつけませう。むろん裏付けはありません(きっぱり)。
>では、貴方にも目録を送りつけませう。
では私も同じ金額だけ目録を送りつけて相殺といたしませう(^^;)(本書によると、実際そういう例もあったとのよしw)