杉山正明『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』(講談社、2008年2月)
杉山先生は数多く概説書を書かれている割には今まで毎回新ネタを盛り込んでくれており、その点に好感を持ってました。で、今回はタイトルの『モンゴル帝国と長いその後』のうち「長いその後」の方に期待していたのですが、案に相違して本書の比重は「モンゴル帝国」の方に置かれており、おまけに期待していたほどの新しいネタが盛り込まれておらず、少々残念な感じがします。
そんな中で少々目を引いたのが、チンギス・カン家の「婿どの」となった世界の王侯の話です。ティムールは強大な勢力を築いた後も自らがカンやカアンの地位につくことはなく、チンギス・カンの末裔を傀儡のカンとして戴き、チンギス・カン家の女性を妻とすることで実権と権威の双方を得た。ロシアのイヴァン4世や清朝の皇室もこれと同様にチンギス・カン家の「駙馬」となることで権威を得ることが出来た支配者であり、高麗の王室などもやはりこうしたチンギス・カン家の「駙馬」として位置づけられることができる。
ここまでは良いとして、杉山氏はこのようなチンギス・カン家と駙馬家との関係が、日本の天皇と将軍、鎌倉時代の将軍と執権、あるいはモンゴル帝国やティムールとほぼ同時代の室町時代の将軍と管領との関係になぞらえることができるとし、更に、というか、「管領」っていう用語・概念そのものがモンゴル時代の大陸からの直輸入だよねとツッコミを入れているのが興味深いところです。前に取り上げた小島毅『足利義満 消された日本国王』といい、最近東洋学の立場から室町時代史にツッコミを入れるというのが流行っているんでしょうか(^^;)
あとは特に本書の第二章で『集史』の内容を紹介しているわけですが、こうなるとやはり手軽な形で『集史』を読んでみたくなってきます。しかし『集史』の訳本をつくる……というのは難事業のようなので、せめて新書とか選書でその概要や読みどころを解説した本を出してくれないかと思うのですが……
杉山先生は数多く概説書を書かれている割には今まで毎回新ネタを盛り込んでくれており、その点に好感を持ってました。で、今回はタイトルの『モンゴル帝国と長いその後』のうち「長いその後」の方に期待していたのですが、案に相違して本書の比重は「モンゴル帝国」の方に置かれており、おまけに期待していたほどの新しいネタが盛り込まれておらず、少々残念な感じがします。
そんな中で少々目を引いたのが、チンギス・カン家の「婿どの」となった世界の王侯の話です。ティムールは強大な勢力を築いた後も自らがカンやカアンの地位につくことはなく、チンギス・カンの末裔を傀儡のカンとして戴き、チンギス・カン家の女性を妻とすることで実権と権威の双方を得た。ロシアのイヴァン4世や清朝の皇室もこれと同様にチンギス・カン家の「駙馬」となることで権威を得ることが出来た支配者であり、高麗の王室などもやはりこうしたチンギス・カン家の「駙馬」として位置づけられることができる。
ここまでは良いとして、杉山氏はこのようなチンギス・カン家と駙馬家との関係が、日本の天皇と将軍、鎌倉時代の将軍と執権、あるいはモンゴル帝国やティムールとほぼ同時代の室町時代の将軍と管領との関係になぞらえることができるとし、更に、というか、「管領」っていう用語・概念そのものがモンゴル時代の大陸からの直輸入だよねとツッコミを入れているのが興味深いところです。前に取り上げた小島毅『足利義満 消された日本国王』といい、最近東洋学の立場から室町時代史にツッコミを入れるというのが流行っているんでしょうか(^^;)
あとは特に本書の第二章で『集史』の内容を紹介しているわけですが、こうなるとやはり手軽な形で『集史』を読んでみたくなってきます。しかし『集史』の訳本をつくる……というのは難事業のようなので、せめて新書とか選書でその概要や読みどころを解説した本を出してくれないかと思うのですが……
『集史』気になりますよね。杉山さん、どんな風に紹介しているんでしょか?
(ちょうど『モンゴル史』はラブレターだ!と某mixiに書いたところです)
いつ邦訳出してくれるんでしょうねぇ?(笑)
おっと、そうでしたか…… 本棚の奥から『大モンゴルの時代』を引っ張り出してみたところ、確かに後醍醐天皇もモンゴル時代の子だとか何とか書いてますねえ。
>雪豹さま
どうもはじめまして。武藤 臼さんのご紹介でmixiの日記の方を訪問させていただきました。
杉山氏の本では最初のテュルク・モンゴル諸部族志を主に紹介してます。個人的にはフランク史やヒタイ史の部分がどういう風に書かれているのかが気になってます(^^;)
やっとこちらのネット環境が落ち着きましたので、
ブログの更新を再開しております。
これからも宜しくお願い致します。
これだけ中国に興味がある人がいる時代、そろそろ
文部科学省辺りで、「集史」の訳本を作っても良い
頃なのではないかと思うのですが…。
更に、各出版社には、抄訳を作って欲しいです。
…文部科学省が一番期待できないかも…。
ブログの方を拝見しますと色々苦労されたようですが、ネットが繋がって何よりです。
『集史』の訳本はやっぱり扱っている時代・地域が多岐にわたるのと、テキストの校勘が難儀らしい(英訳本でも校勘が行き届いたものは無いとのこと)のがネックになっているんじゃないかと。
昔であれば宮崎市定のような大先生が号令をかけてプロジェクトを組んで翻訳を進めるというようなことも出来たかもしれませんが、今や各分野に跨ってそんな号令をかけられる大先生なんていませんし……
文部科学省は……役割としてはあくまで研究者から提案されたプロジェクトに資金を給付するかどうか判断する機関であって、主体的にプロジェクトを企画・指揮する機関ではないと思います(^^;)
けれどもね。それすら怪しい…。
とは言えこの規模、国家が音頭をとっても良いと
思いますけれどもね。
正史二十三史(史記は豊富にあるので実質二十二史)も
なのですけれども…。
それにしても現在この分野、宮崎先生のような大物、
いないのですか?
かくなる上は、さとう博士に期待します!(笑)
できれば、私がぼけてしまう数年以上は前に(爆)。
>それにしても現在この分野、宮崎先生のような大物、いないのですか?
研究分野の細分化が進んだ結果、広範囲の分野に目が行き届いて号令がかけられる大物というのがほとんどいなくなっちゃったんですね。
そういう存在になれる可能性のある人を強いて挙げるとすれば、礪波護、岸本美緒、そしてこの本の著者の杉山正明の諸氏ぐらいでしょうか。